真田丸 1話のあらすじネタバレと感想
NHK大河ドラマ真田丸1話のあらすじネタバレと感想です。
あらすじのネタバレは放送開始前に、感想は放送開始後に追記します。
真田丸 1話のあらすじネタバレ
偉大なる武田信玄が死に、息子の勝頼が継いでから9年後の天正10年(1582)2月。
甲斐の名門・武田家は今までで最大の危機を迎えていた。
北に上杉、東に北条、西に織田、南に徳川と列強の大名たちに囲まれていた武田であったが挽回の機会をうかがっていた。
そんな中、1月に勝頼の義理の弟・木曽義昌が突然織田に寝返った!
この機を逃さず一気に攻め込む信長。
ついに武田家は織田信長の侵攻を許してしまったのであった…。
武田家に仕える若者・真田信繁と家来の矢沢頼幸は、敵が迫る山中を逃げまどっていた。
この真田信繁こそ、33年後の大坂夏の陣にて、徳川家康を自害寸前まで追いこみ「日本一の兵」と呼ばれる男となるのだが、この時の信繁は一介の若武者。
織田の先鋒である徳川勢と鉢合わせし、一心不乱に逃げるのだった。
上原城での軍議
そのころ勝頼は、前線にある諏訪の上原城で指揮をとっていた。
勝頼が小山田信茂や跡部勝資ら家臣団と上原城で軍議を開いていると、そこに一人の男がやってきた。
それは、駿河にいたはずの御一門衆筆頭の穴山梅雪だった。
梅雪「松尾城の小笠原信嶺も織田に下りました。」
これを聞いた信茂が「いますぐ兵を挙げ成敗いたしましょう。」といきり立つ。
しかし跡部と梅雪は、
跡部「まずは木曽義昌を討つべき。すべての元凶はやつじゃ」
梅雪「われらの本拠地である新府に戻り、態勢を立て直すのが先かと」
と意見が割れる。
勝頼は、武田家のいち家臣に過ぎぬ、信繁の父・真田昌幸に意見を求める。
昌幸は、木曽義昌の寝返りにより、領地の西側の守りが非常に弱っている事を指摘。
梅雪の言うとおり、ここはいったん新府まで戻るのが良いと言う。
昌幸「今は潮は引きどき。力をためて待つのです。」
跡部「木曽はどうする?」
昌幸「木曽討伐は後に取っておきまする。その時は先陣を切り木曽の首を取ってごらんに入れます」
昌幸の力強い言葉に、勝頼も頷き、武田軍はいったん新府に引くことが決まった。
梅雪も昌幸を評価し、たとえ自分達だけになったとしても勝頼を守って武田のために尽くそうと声をかけた。
昌幸は廊下に控えていた息子の信幸に言う。
昌幸「お前はひと足先に新府へ戻れ。南も心配じゃ。そろそろ徳川勢が攻めてくるころじゃ」
昌幸は西方だけでなく南方も案じており、徳川軍が駿河口に兵を進めてくるころだと思っていたのだ。
武田家が滅びる?昌幸の予言
このころ、戦国大名たちは家臣の裏切りを防ぐため、その家族を人質として預かり、自らの城下に住まわせていた。
真田昌幸の妻・薫、母・とり、長女・松とその夫の小山田茂誠らは甲斐の新府にある真田屋敷で暮らしている。
そこに昌幸から帰還を命じられた信幸が帰ってきた。
昌幸の次男・信繁が兄の信幸に先日の出来事を報告する。
信繁「駿河の安倍川の上で徳川の物見に出くわしました。徳川は国境に迫っています。今のうちにつぶしておきましょう。」
信幸「なぜそのような危ない所まで出向いた。勝手な真似をするな!」
信幸は勝手な行動に出た弟をしかりつけるが、信繁は不満そうな表情。
信繁は次男の自分なら目をつけられず自在に動き回れると考え、その立場を生かそうとしたのであった。
その表情を見て、「自分たちは指図に従っていればいい」と諭す信幸だったが、信繁の発言に驚かされる。
信繁「みな西の織田勢ばかり気にしているので、南の事が心配になりました」
信繁は父・昌幸と同じ考えを持って行動していたのだった。
父に従っていれば良いという自分との差に、信幸はショックを受ける。
しばらくして昌幸が、高梨内記ら家来たちと共に真田屋敷に戻ってきた。
約1か月ぶりの帰宅となった昌幸は、家族に心配をかけまいとして明るくふるまうが、妻の薫は不安を隠せない。
実はこの日の朝、木曽義昌の母と子どもたちが裏切り者の家族として処刑されていた。
もし昌幸が武田家を裏切るような事があれば、自分たちも処刑されてしまう。
薫「一体武田家はどうなるのです?」
昌幸「安心せい。信長の好きにはさせん。武田家は決して滅びはせん」
そう言って、家族を安心させた昌幸だが、信幸と信繁を部屋に呼ぶとこう言い放った。
昌幸「武田は滅びるぞ」
家族を安心させるため、新府城は安全だと言ったが、実は予想以上に早く織田が攻めてきたため、新府城はまだ未完成の部分もあった。
驚きを隠せない二人に昌幸は続ける。
昌幸「ここにいても先が見えておる。わしはこの城を捨てるぞ」
昌幸「今は真田家最大の危機。一つ手を誤れば真田は滅びるぞ。策はある。一丸となりこの苦難を乗り切るぞ!」
武田滅亡の暗示
信幸は、武田家を守ると言ったり滅びると言ったり、昌幸の真意がわからずついていけない部分があると信繁に漏らす。
それを聞いた信繁は、父についていけば間違いないと、信幸を励ます。
ふと見ると、山腹のお堂に昌幸・梅雪・勝頼の3人が入っていくのが見えた。
3人で密議を行うようである。
織田家に追い詰められすっかり弱っている勝頼は、父・信玄が築きあげた武田家を滅ぼしてしまうかもと、自身の不甲斐なさを嘆く。
梅雪は信玄の御霊が守ってくれるから心配無用と労う。
昌幸も富士山や浅間山が噴火しない限り武田家は安泰だと諭す。
そんな二人の存在を勝頼は、心から頼もしく思うのであった。
ところが、それから数日たったある日、武田家の滅亡を暗示するかのように、48年ぶりに浅間山が噴火した。
勝頼は噴煙を見つめながら絶望に打ちひしがれるしかなかった。
浅間山の噴火から11日後の2月25日。
頼りにしていた穴山梅雪が、突然織田に寝返った。
実は梅雪は、以前から織田・徳川勢と内通しており、裏切りのタイミングを用意周到に伺っていたのだった。
武田に人質として家族を脱出させた事を機に、寝返りを実行。
さらに梅雪の手引きにより、武田領内に徳川勢が侵入。
武田家は絶体絶命のピンチに立たされる。
岩櫃か岩殿か
この緊急事態に、新府城では、すぐに軍議が開かれた。
しかし一門筆頭の梅雪の裏切りは計り知れないほど大きい。
なぜなら、
- 味方の人数
- 丘の配置
- 軍略
などすべての情報が敵に知られてしまったのだから。
ほとんどの家臣は、まともな戦いは不可能と悟り、討ち死に覚悟で敵を迎え撃とうと決意する。
跡部が籠城戦を訴える。
信茂はたとえ負けることとなったとしても、全軍で攻め、華々しく散ろうと言う。
そんな中、昌幸は、「まだ策は残っている」と声を挙げる。
昌幸「御屋形様、ここは我が岩櫃城へお越しくださいませ。力を蓄え再起を図るのです。」
新府城は築城してまだ1年。
けっして盤石な守りとはいえず、籠城は得策ではない。
城から出て攻め込むのもやけくその無謀な行為。
昌幸「捨て鉢にならず、最後まで望みを捨てなかった者にのみ、道は開けまする。」
勝頼は前向きな昌幸の提案を受け入れ、岩櫃城へ向かう事にする。
岩櫃城は新府城の北東にあり、東には昌幸の弟・信尹が守る沼田城が、さらに西には砥石城があり、ここを信幸に守らせれば、巨大な要塞となる。
翌朝、昌幸は内記をはじめとする家来たちを連れ、ひと足先に岩櫃城に向かう。
そのころ、勝頼の岩櫃城行きを阻止しようとするものが。
跡部と信茂である。
信茂「岩櫃は危のうございます」
跡部「真田はあくまで信玄公の家来。武田家代々の家臣ではなく、家臣になってまだ日が浅いです」
勝頼「罠だと申すのか」
跡部「真田には、裏で北条とつながっているというよからぬ噂がございます」
信茂「家中の相違でございます。我が岩殿城へお入りくださいませ」
確かに岩殿城は西に笹子峠、北と南は絶壁に囲まれており、敵を迎え撃つには絶好の場所。
悩む勝頼に跡部は、信玄が築きあげた甲斐を捨て生き延びても信玄は喜ばない、と説得。
勝頼は、悩んだ末に岩櫃城行きをやめ、岩殿城に向かう事を決意する。
その夜、勝頼自ら真田屋敷を訪ね岩殿城に行くことになったと信幸・信繁に告げる。
勝頼「わしには甲斐を捨てられぬ。父が築いたこの甲斐を。」
信幸・信繁には昌幸に従い岩櫃城へ向かうように告げ、武田家の人質を免ずる証文を差し出してきた。
さらに小山田氏の人質となっていた信幸たちの姉・松も連れて行くよう伝え、護衛として勝頼の手勢を100人つかせることを約束した。
信幸・信繁は勝頼の優しさに感謝しつつも、護衛の件は断る。
信幸「御屋形様に生き延びていただくことが真田家の再起の道。御屋形様の護衛を減らすことは真田家の思いに背きます」
信繁「われら兄弟。そう簡単には討たれませぬ」
この言葉を聞いた勝頼は、真田一族との絆をかみしめながら真田屋敷を去っていった。
二人は早速、薫ととりに人質を免ぜられたことや松も真田家に戻ることを伝え、忍の佐助に事の顛末を書いた手紙を岩櫃で待つ昌幸に届けるよう命じた。
岩櫃城までの道中は、危険が多く潜んでいる。
武田氏の威光はもう効かないうえ、野盗も数多く潜む。
さらには農民までもが武器を片手に落ち武者を襲うという。
この現状に母・薫は不安を隠せないが、必ず守ると約束する息子たちの言葉を胸に旅の支度を始めた。
新府城には火をかけることになっており、もう戻ることは出来ない。
小山田信茂野の裏切り
3月3日。勝頼は岩殿城へ向け出立した。
その一行の中には松の夫・小山田茂誠の姿もあった
真田家に戻ることとなった松は、茂誠と別れるのが寂しくてたまらない。
勝頼が城を出た事はすぐに周囲に知れ渡るだろう。
真田家の出発が遅くなればなるほど危険は増す。
信幸は、薫と松の準備が整うのを今か今かと待っていた。
一方、丘の上から勝頼の一行を見送る信繁。
勝頼と目が合った。その眼にはきらりと光るものが。
昼過ぎ、真田家一行も岩櫃城に向け出発。
新府城から岩櫃城まで37里(約145キロメートル)。
通常通り進めれば3日でたどり着く距離だ。
山道に差しかかったところ振り返ると、新府城が火に包まれていた。
信幸と信繁は、燃えさかる新府城から目を離すことができないでいる。
勝頼が新府城で過ごしたのは、わずかひと月あまり。
武田氏の新たな本拠となり、長く留まるはずだったのだが。
新府を出発した後も勝頼は苦難の道を歩き続けていた。
織田軍の勢いは止まることを知らない。
諏訪の高島城が落とされると、まもなく信長の息子・信忠の軍が、上諏訪まで攻めてきた。
また、脅威は敵の軍勢だけではなかった。
離反する者があとを絶たず、新府を出発するときに600人近かった家来が、笹子峠の手前では100人を切るほど少なくなっていた。
その峠を前にして、小山田信茂が言う。
信茂「御屋形様はゆるりとお越しください。拙者は先に行ってお迎えの支度をしておりまする。」
こうして一足先に峠に入っていった信茂だったが、これは決して勝頼を気遣っての行動ではなかった。
峠の関所についた信茂は、関所の木戸を閉じ勝頼を通さないようにと茂誠に命令した。
やがてやってきた勝頼一行。
閉じられた木戸の前で跡部が叫ぶ。
跡部「御屋形様のご到着である。木戸を開けよ」
茂誠 「わが主・小山田信茂、故あって織田方に加勢することになりました。木戸を開けることは出来ませぬ!」
跡部「血迷ったか!」
茂誠「一人たりとも、お通しすることは出来ませぬ!どうかお戻りくだされ」
新府城はすでに燃えており、戻る場所などない。
一行に動揺が走るなか、勝頼はひとり、悟ったような表情で、もと来た道を戻っていく。
寝返りが本意ではない茂誠は、涙を流しながら勝頼一行を見送る。
真田丸の船出
ひとつの時代を作ってきた武田氏だったが、いよいよその命運も尽きようとしていた。
そして歴史は大きく動きだす。
北の雄、名将・上杉謙信から越後を引き継いだ上杉景勝。
東には、北条家4代目の北条氏政。
西には、史上最大の領土を持つ、織田信長。
そして南は、真田一族最大の敵として立ちはだかる事となる徳川家康。
甲斐・信濃・上野は一気に動乱に包まれる。
列強の大名たちがしのぎを削る「動乱の天正10年」が始まろうとしていた。
そんな乱世を真田家の者たちが寄り添いながら進む。
戦国という大海原を、小さな舟が漕ぎ始めた。
舟の名前は「真田丸」。
波瀾万丈の船出であった。
以上、NHK大河ドラマ真田丸1話のあらすじネタバレでした。
以下は、1話の放送を見ての感想です。
真田丸1話の感想
初回って結構大事ですよね。
昨今の大河ドラマは、アタリかハズレか即判断されちゃいますからね。
正直、武田信玄・上杉謙信・真田幸隆が存命の時代から始まってほしかったというのが率直な感想です。
存在が大きすぎて、焦点がぼやけるとか物語が複雑化するということなのでしょうか。
仕方がありません。
真田丸は前評判が高く、そういう意味ではハードルが上がってしまいましたよね。
ただ、三谷幸喜さんらしく、大河ドラマの固さがいい感じでとれていて、加えて周辺諸国との関係図も所々で分かりやすくなっていましたね。
主役の堺雅人さんが、真田信繁のキャラクターをどんな風に演じられるかと思っていたのですが、最近の作品でいうと、
日本テレビ『Dr.倫太郎』の日野倫太郎役(2015年春)
TBS『半沢直樹』の半沢直樹役(2013年夏)
フジテレビ『リーガルハイ』の古美門研介役(2012年春)
どれとも違うとは思いますが、あえて近いと感じたのはどれでしたでしょうか。
ぼくは、第一回の印象だけでいうと、『Dr.倫太郎』の日野倫太郎に近い印象を持ちました。
心穏やかで、人に対しても優しく、本質を見る目を持って行動をおこすが、少し無鉄砲な性格を持ち合わせているという点は、似た印象を持ちました。
ただ、一年を通した長丁場であり、歳を重ね経験を積んだ真田信繁が終盤で徳川家康に戦いを挑むシーンを想像したときに、半沢直樹のキャラタクーが出てくるのか、まさか今では懐かしい『倍返しだ!!』とは言わないと思いますが、その強く攻撃的なキャラクターが出てくるのではないかと思っています。
注目の第2話は『決断』。
岩櫃場まで逃げてきた信幸・信繁を含む真田家は、今後北の上杉、東の北条、どちらを頼るか決断の時が迫ります。
第一話は、武田家の中の真田家が放送全体の9割方を占めていて、他の周辺諸国は紹介程度しか出ていませんでしたね。
第二話以降は上杉、北条との駆け引きも出てきます。
ますます勢力を拡大する織田家・徳川家の家臣団にも有力武将がたくさんいます。
続々と出てきてドラマに厚みを持たせてくれると思いますので、期待したいと思います。
真田信繁の信繁の名は武田信玄の弟の武田信繁の名をもらったそうです。
父の昌幸が武田信繁を信奉していてその名を次男につけたそうです。
大阪の陣のあと「真田幸村」といわれたそうです。
川中島の戦いで戦死した武田(典厩)信繁の菩提寺の典厩寺(てんきゅうじ)が長野市の川中島古戦場近くにあります。
高校の日本史で、先生が力説していて、特に印象が残っているのは、
高島炭鉱事件と嘉吉の乱だった。
高島炭鉱事件とは、明治時代、高島炭鉱で、コレラが流行した時、海岸で生きたまま鉄板にのせて焼き殺したため、発生した暴動である。
嘉吉の乱とは、「殺られる前に殺ってしまえ」のフレーズで有名な将軍暗殺の事件である。先生は、武家社会は暴力団が政権をとった様なものだった、と言って鎌倉幕府成立とこの嘉吉の乱を例に挙げた。両方とも高校の日本史では有名なものなので、大河ドラマにして欲しいとも思う。