真田丸 視聴率速報
こちらは真田丸の視聴率速報ページです。
視聴率が出しだい速報でお届けします。
先週比はプラスの場合は青字で、マイナスの場合は赤字で表記してあります。
各話のあらすじと感想はネタバレも含まれているのでご注意ください。
話 | 視聴率 | 先週比 | あらすじと感想 |
---|---|---|---|
1話 | 19.9 | 1話のあらすじと感想 | |
2話 | 20.1 | 0.2 | 2話のあらすじと感想 |
3話 | 18.3 | -1.8 | 3話のあらすじと感想 |
4話 | 17.8 | -0.5 | 4話のあらすじと感想 |
5話 | 19.0 | 1.2 | 5話のあらすじと感想 |
6話 | 16.9 | -2.1 | 6話のあらすじと感想 |
7話 | 17.4 | 0.5 | 7話のあらすじと感想 |
8話 | 17.1 | -0.3 | 8話のあらすじと感想 |
9話 | 16.6 | -0.5 | 9話のあらすじと感想 |
10話 | 16.2 | -0.4 | 10話のあらすじと感想 |
11話 | 15.6 | -0.6 | 11話のあらすじと感想 |
12話 | 17.9 | 2.3 | 12話のあらすじと感想 |
13話 | 17.5 | -0.4 | 13話のあらすじと感想 |
14話 | 17.1 | -0.4 | 14話のあらすじと感想 |
15話 | 18.3 | 1.2 | 15話のあらすじと感想 |
16話 | 16.9 | -1.4 | 16話のあらすじと感想 |
17話 | 17.0 | 0.1 | 17話のあらすじと感想 |
18話 | 19.1 | 2.1 | 18話のあらすじと感想 |
19話 | 17.0 | -2.1 | 19話のあらすじと感想 |
20話 | 18.7 | 1.7 | 20話のあらすじと感想 |
21話 | 16.8 | -1.9 | 21話のあらすじと感想 |
22話 | 16.6 | -0.2 | 22話のあらすじと感想 |
23話 | 18.9 | 2.3 | 23話のあらすじと感想 |
24話 | 17.6 | -1.3 | 24話のあらすじと感想 |
25話 | 18.3 | 0.7 | 25話のあらすじと感想 |
26話 | 16.4 | -1.9 | 26話のあらすじと感想 |
27話 | 15.1 | -1.3 | 27話のあらすじと感想 |
28話 | 17.0 | 1.9 | 28話のあらすじと感想 |
29話 | 17.5 | 0.5 | 29話のあらすじと感想 |
30話 | 14.5 | -3.0 | 30話のあらすじと感想 |
31話 | 17.3 | 2.8 | 31話のあらすじと感想 |
32話 | 15.8 | -1.5 | 32話のあらすじと感想 |
33話 | 18.0 | 2.2 | 33話のあらすじと感想 |
34話 | 13.2 | -4.8 | 34話のあらすじと感想 |
35話 | 15.0 | 1.8 | 35話のあらすじと感想 |
36話 | 16.5 | 1.5 | 36話のあらすじと感想 |
37話 | 17.3 | 0.8 | 37話のあらすじと感想 |
38話 | 15.7 | -1.6 | 38話のあらすじと感想 |
39話 | 16.6 | 0.9 | 39話のあらすじと感想 |
40話 | 15.0 | -1.6 | 40話のあらすじと感想 |
41話 | 15.4 | 0.4 | 41話のあらすじと感想 |
42話 | 13.0 | -2.4 | 42話のあらすじと感想 |
43話 | 14.5 | 1.5 | 43話のあらすじと感想 |
44話 | 15.3 | 0.8 | 44話のあらすじと感想 |
45話 | 15.2 | -0.1 | 45話のあらすじと感想 |
46話 | 14.2 | -1.0 | 46話のあらすじと感想 |
47話 | 15.3 | 1.1 | 47話のあらすじと感想 |
48話 | 16.1 | 0.8 | 48話のあらすじと感想 |
49話 | 14.8 | -1.3 | 49話のあらすじと感想 |
最終話 | 14.7 | -0.1 | 最終回のあらすじと感想 |
平均視聴率 16.6% |
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第1回目、期待して観ましたが思ったよりも退屈でした。
高畑淳子の演技が大げさな上にチャラくて、浮いた感じがしました。次回は観るかどうか微妙です。
高畑淳子って何か賞頂いたんですよね。
今の日本って女優と言える人居ませんよね。悲しい現実です。
真田丸は「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」の戦国時代を
背景としたドラマで有って実在人物は定かだがストーリー
は面白可笑しく描いております!これからも期待しましょう!
なかなかの視聴率ですね。
勝頼自害のシーンは涙。
昌幸・山之手殿のコンビも大好きです。
このくらいの軽さはOK!
この段階で佐助登場とあらば、お江もぜひに。。
次回が楽しみです。
思ったよりつまらない。
高畑淳子の臭い演技には参った。
兎に角 軽い。 軽すぎる。折角の豪華キャストの無理をした軽演技が気の毒で見ていられない。
豪華キャストの腰の据わった演技力を活用し真の大河ファンの希望を叶えて欲しい。
それにしても家康の家臣団は何故 あの2人だけなんだろう。
京の大事をいち早く知らせ伊賀越えに大きな働きをし家康の命の恩人となった茶屋四郎次郎清延はどこに行ったんだろう。
同感です。 昌幸、信之、家康とも人物が軽すぎますし、細かいストーリーの流れも首を傾げざるを得ません。 史実で不明瞭なところを作り込んでいるのでしょうが、それにしても有り得ないと思われる箇所が多々。 史実もしっかり調査して、もう少し考えたストーリーにしてほしいもの。 真田太平記を100点とすれば、真田丸は10点程度で、落第点としか言いようがありません。 我慢して見てましたが、7話以降はもう見る気がしません。
問題の最大のポイントは三谷幸喜の脚本にあるように思います。 以前の新撰組は時代考証が極端にむちゃくちゃで、最初から見る気を失いました。
大河を何十年も見ているとおちゃらけドラマは見るに耐えない。
やはり大河はジェームズ三木。
三谷幸喜は新撰組と2連敗
見なきゃいいだろ なんで見るんだ?w
映画宣伝でうすら寒い笑いを提供する三谷氏を見て、愉快であると感じ入る連中がキャストをつとめている割には、武将同士のやりとりは上質
彼が関わることの帰着として当然であるが、メリハリを履き違え、『役者界では面白いコメディ要素』をちりばめるのは、いささか庸劣に過ぎる。
とにかく軽い。コメディ番組ですなぁ!
言葉使いも現代風。現代劇がタイムスプリットしたのかな。
一人特に目立つのがいます。すべてが現代風、ただうるさいとしか言いようがないですなぁ。
チャラチャラしすぎ。大河ドラマ時代劇物には似合いませんなぁ。
大河ドラマの良さは何処に行ったやら。悲しくなります。
視聴率も伸びないんじゃないですか?低下するのでは。
これからの大河ドラマにも影響しますよ。NHKさん
おもしろいです
毎回見ちゃう。おばばと草刈さんがいーですねー
真の大河ファンには耐えられない
軽い!つまらない!
敵に囲まれて何故あーも簡単に逃げられるのか?
三谷さんに大河は無理です!!
真の時代劇好きにとっては 軽すぎて見てるのが辛いです。
堺さんのファンなので我慢して見てましたが これからはたぶん見ないでしょう。
三谷ファンだけが楽しんでるように思います。
三谷さんは小劇場のコメディー作家としては有能なのでしょうが しっかりした時代劇には向きませんね。
昔の言葉でないので私でも台詞を理解出来き、見る事の出来る始めての大河です。
でも高畑さんはこのドラマに合ってません。
台詞が昔で無いので私でも見れる始めての大河です。
でも、高畑さんはこの時代劇に合いません。
真田丸、期待してただけに
残念です!
見る気しないよ~全く!
ミスキャストですね~
大河ドラマらしくない!
回を重ねるごとに史実から離れていく。あまりにもひどい。演出も軽い。もう大河ドラマやめるか、作り方を根本的に見直したほうが良いのでは。
人物の理想の姿や建前ではなく、人間の心理をついた本音が見えて面白い。コミカルに描く方が難しい。三谷さん、存分にやっちゃってくださいよ。視聴率なんか気にしないで。毎回、楽しみに見ている人も多いんです。
毎週楽しみに見てます♪史実と違う、時代劇らしくないとがっかりしている人も多いようですが、わたしは難しく考えず、家族愛とか、人として昔の人もこんな感情だったかも、というようにみてます☆
大河ドラマ終焉を迎える。もう時代にそぐわない。
大河ドラマ終焉を迎える。
コミカルという人がいるが、質の低いおちゃらけでしかない
役者と脚本家の慣れあい茶番劇
視聴率がつまらなさを雄弁に物語っている
質の低いおちゃらけ? 質が高い低いというのはどういう尺度で決められるもんなんですか? 役者と脚本家の慣れあい茶番劇? 慣れあいで手掛けるほど歴史ある国民的ドラマ番組を軽視するわけないでしょ。
天正壬午の乱は理解するんは難しい、複雑。地図をバーチャルで解説しているが、それだけでは、一時期のことでしかない。
現在放送されているのは筋から見ると、真田は大悪党にも見える。そこを軽くしようと変なキャストで軽く扱ってるような気がする。(しかし、あの室賀殺害場面で、長沢が黒木を連れていくかね?)
そうしたことで、これからしばらく視聴率は下がりそうだ。
自分は歴史好きなので、パソコンなどで、人間関係等を確認しながら見ていきます。(前回の大河は、歴史好きでも見ていません。NHKは女性をメインにすると、大きく史実をいじります)
恥ずかしながら、大河ドラマ初体験。多分色々観てきた方々にとっては賛否両論があると思いますが、初体験の私にも分かりやすく、続けて観たい!という気にさせてもらっています。
多分、今風にかなりアレンジしているのは初めて観てもわかりますが、反対にとても入りやすく、面白くて毎週楽しみです。
毎週 楽しみに見ています。
賛否両論あるみたいですが、
私は 見たいテレビドラマが
少ない今 真田丸だけは 待ち遠しく見ています。頑張れ真田丸!
三谷さんの考え方なのてしょう 私は楽しく見ています 視聴者はできあがったものを ただ自分にあっているかどうかでコメントしている
それでいいとおもいます
私は三谷幸喜の面白さをドラマで確認しています
今回の暗殺シーンはとても良かった。浮かれている宴の裏で、緊迫した真剣勝負の暗殺行為が行われている。その間を失意のきりが肩を落としてそれと気づかず座っている。対照的な二人だが幼いころからお互いをよく知っている男同士が情けを心の奥にしまって殺し合う。合戦だけが戦いじゃない。今も昔も変わらず繰り広げられる人の世の相克。ライバル、親子、兄弟、嫁姑、恋敵、その心の闇の対立を表にわかりやすく、でも決して暗くならずに描いている。昔見た大河の「天と地と」「武田信玄」「独眼竜政宗」は子供ながらに感動した。でも重厚長大の時代を過ぎて久しい今、日本を反映しているのは「真田丸」の方だと私は感じている。
業者がどのような擁護書き込みをしようが、視聴率はゆるがせに出来ない。
視聴率の意味を凌駕する擁護書き込みを期待する。
初めて大河ドラマを1話から見ているのですがとてもみやすくて面白いと感じました。
ですが、前からの大河ファンの方は満足出来ない方が多いかもしれません。
面白い!毎回駆け引き、展開、名場面あり、見応えある!長澤まさみのチャラさも現代風と思えば、かなり味わいある役どころ!草刈正雄の喰えない感じは、見事な存在感!内野聖陽、遠藤憲一、高嶋政伸、寺島進は味濃く見易い。そして大泉洋と堺雅人が毎回成長している。戦国の真っ只中で苦悩する小国の意地!これをドラマという!(何で視聴率下がってんのかい?色んな先入観フッ飛ばしたらとっても楽しめるのでは!?)
私はいつもテレビじゃなくてネットのNHKオンデマンドで最低2回は見てるからテレビの視聴率なんか関係ないもんね。今では多くの人がテレビではなくてネットで大河見てると思うんだけど、それでも視聴率って大事かな。私は業界の人間じゃないけど、どの役者さんもいい演技してると思う。高畑さんの薫や長澤さんのきりが一部で酷評されてるようだけど、二人の演技でその対角線にいるおばばさまや梅との性格の違いが明確にわかる。地味な性格の人物を派手な人物が引き立ててる。徳川家臣しかり、真田兄弟しかり。皆、対照的だ。たくさん歴史上の人物を出さなくても象徴的に描かれることで面白くて印象深くなってる。それにしても、寺島さん、暗殺場面の迫真の演技は素晴らしかった。今まで地下足袋に半纏姿が似合う役者ぐらいにしか思ってなかったけど、この人、役者道に命かけてるね。草刈さん、「武田信玄」の橋爪功演じる真田幸隆に雰囲気が似てる。きっと研究したに違いない。
「妊娠してたというのは嘘よ。。。。」 そう平然という梅ちゃんに驚くきり。やっぱりね。か~るく見てちゃいけないよ。こういうおとなしい人ほど、大胆なことをする肝が据わってたりするんだから。でも、きりちゃんもね。。。。
景勝の見せたトップの悲哀が胸に染みた。神様はただお前たちで解決しろと傍観してるだけ。なぜこうも人の世は解決しがたい問題があとからあとからでてくるんだろう。。。
大河ドラマらしさはないかもしれないがここ最近の作品よりも見てて退屈な場面がないのが良い、硬派なファンは好きじゃない演技だし真の大河ファン(笑)はどんな作品も昔と比べてケチ付けるだけなのであまり考えていないのだろう。大河自体がマンネリ化しつつある現在で実験的な部分もあるが応援したい。
徳川は大国、それに対して真田は小国。質量ともに真田に劣っていないはずの徳川が小国である真田を軽くみた。あらゆる知恵を使い、もてるものを存分に活かし、少数精鋭で乱世を生き抜く。決して大国に媚びず、なんとしてでも領土を守り抜くその戦いぶりに感銘を受けた。どんな困難な状況にあってもどこかにその苦境を乗り越える抜け道が用意されているのかもしれない。
それにしてもこの赤ちゃん。大人顔負けの名演技!
重い大河ドラマなんて、逆につまらない。
新鮮味があってよいではないか!
評価するのは最終話まで観てからでよいのでは?
三谷幸喜の作品を侮るなかれ。
その辺も計算に入れとるようですよ。
この大河ドラマに従来のスケールの大きい合戦は期待してない。戦略をどう立てどのような戦いぶりをしたかに興味がある。その点で見応えがあった。戦はカッコいいものではないのだ。また、当時の男性の役割、女性の役割ははっきりしていた。それが示されている中で梅の行動は特筆だった。しかしそれはそれで意味が込められていると受け取った。きりは歴史上実在の人物らしいが、現代感覚をもった女性として描かれているようだ。現代の女性の目で見たらどのように感じどのような態度をとるのかその視点で見てもおもしろい。彼女はその時代と現代をつなぐ役目を担っているのかもしれない。
自分の周りでは、歴史好きじゃない人も楽しめてるようです。
確かに歴史好きから見ると、ん?えっ?てなるところもありますが、役者さん達の力と見飽きない楽しさがあって良いと思います。視聴率に対しては昔と違った見方を多少はした方が良いかも知れませんね。真田丸これからも楽しみにしております。
信繁は、梅ときりの二人とは幼馴染みでよく遊んだ仲だったろうが、容姿の美しいきりにではなく素朴な梅に恋心を抱いた。人は美しいものに気を引かれるというが、きりとは違い、身分も低く容姿端麗とはおせいじにも言えない梅を母の反対を押し切って妻にした。信繁は、人の心を見抜き、また人から好かれる魅力がある。人や物事に対してふつうの人にはわからないことを察知する力が備わっている。信繁が妻にと見込んだ梅はわが子は家族が育ててくれると確信して戦場の花と散った。普通の女ではなかった。人の隠れた才や魅力を見抜く力がある信繁が今後どのように活躍していくのか今後の展開を楽しみにしている。
「黄金の日日」、いやあ、おもしろかった! 子供心に。
まさに骨太の当時一流の時代劇であった。
でも、時代も変わり、視聴者も、視聴の仕方も変わった。
視聴率がだとか、大河の重みがだとか、
そんなことばかり言っているとそれこそジリ貧だ。
僕らが今、求めているのは今の時代のエンタテインメント。
登場人物の喜怒哀楽全てに共感し、
今、目の前で起きているがごとくライブのように楽しみたいのだ。
そういった意味で、今回の「真田丸」も一流の作品だと思う。
面白い!短い期間に敵味方がコロコロ替わる、歴史の転換点 戦国時代は、こんな策略や思惑が激しく交錯していたのか、、と思わせられる脚本の魅力と、役者さんの名演技。
特に、 不測の事態の連続に もはやどうしたらいいのかわからん・・と頭を抱えつつ妙案をひねりだす昌幸や、 義を重んじ目の前の相手を助けようとできない約束をし、「かっこつけ」と言われ、無力さに嘆く上杉景勝など、 ああ~ 武将もほんとうはこんなだったかもね・・と感じられる「本音感」漏れ出るところが、私には新鮮であり、魅力です。
ただ、賢いはずの梅が何度も危険をおかし、最後にはやっぱり死亡フラグを回収してしまうのは解せませんでしたが・・ 新編も楽しみにしてます!
とにかく面白いです!!
歴史が得意ではなかった私でもすっと頭に入ってきますo(^o^)o
毎週楽しみに見てますし、録画して何回も見ています!!
歴史が苦手だったのに歴史が大好きになってしまった息子と一緒に見る真田丸が最高に楽しくて勉強になります!
真田丸毎週楽しみに見てます♪史実と違う、時代劇なのに軽いとがっかりしている人も多いようですが、わたしは、家族愛であったり、人の心の動きであったりをあーなるほどね、戦国の世も今と同じように感じることもなったかもね、とか、こんな殺され方をして、ほんと、無念よね…という感じで、毎回感情移入しにみてます。これからの展開も楽しみにしてます(^。^)
信幸は、父が弟の信繁をことあるごとにほめるのが気に入らない。三十郎は、きりが自分を差し置いて信繁といっしょに大阪に行くのが気に入らない。景勝は、秀吉に頭を下げるのが気に入らない。加藤清正は、秀吉が関白になって自分と遊んでもらえないのが気に入らない。石田三成は、秀吉が信繁に興味があるのが気に入らない。こうした登場人物の本音が真面目に描かれているが故に、可笑しくて思わず笑ってしまう。これほど人間の本質を赤裸々に描き、かつ笑いを誘う大河がこれまであったろうか。石川和正に裏切られ激怒する家康や重臣たちの演技も最高に可笑しかった。
信繁は、前を向いて進まなくてはと、後悔と悲嘆にくれる数正を鼓舞しながら同時に、自分にもそう言い聞かせていたのだろう。梅に何もしてやれなかった信繁の後悔と恩ある家康を裏切った数正の後悔の質は違うだろうが、お互いにやりきれない悲しみに暮れていることに違いはない。数正は、信繁の言葉に心が吹っ切れ、その証だろうか、まだ若輩の信繁に酒を注いだ。信繁もまたその酒杯を飲み干し、これを境に前に進む決心がついたのだろう。お互いの悲しみが悲しみに浄化され、明日への希望が生まれた印象深いシーンだった。
小日向文世の秀吉は今まで私が見た中で一番怖い。無邪気で少年のような純粋さをもつ反面、冷徹で鋭い勘と思考をもち、邪魔する者は排除して物事をなんとしても成し遂げようとする強い意志と狡猾さがうかがえる。とにかく頭の回転も行動も人より早いから普通の人はついていくのが大変だろうし、こういう人物に仕える三成が頭がよくていかに機転がきいているかがわかる。
秀吉を快演する小日向さんは自由劇場にいるとき、そこの看板女優だった吉田日出子さんにずいぶん演技をしごかれたらしいが、秀吉の時折見せるひょうきんな表情が吉田さんに似ていると思うのは気のせいだろうか。小日向さんは役者として演技の「引出し」をたくさん持ってるんだろう。役者が今までのイメージとは違う役柄を見事に演じる意外性は芝居を見ている側はとてもうれしい。
もうすでに関ヶ原の合戦につながる伏線が随所に描かれている。今後の展開に目が離せない。
私は生粋の堺雅人マニアです
今回の大河も堺さん主演ということで初回から完全録画して撮りためています いざ始まってみて 三谷幸喜らしい可笑しみもありますが 泣けて笑えてグッと来て 面白くて繰り返し観てしまいます 大阪編の石川数正とのシーンは真田丸始まって以来印象深く泪を誘われます
堺さんが一年通して真田丸の顔を造るとコメントされていました賛否両論あるみたいですが
これからの展開と信繁の成長と
進化を楽しみにしています
真の大河ドラマファンやら、真の時代劇ファンやらが、たいそうなコメントしてますが。
そんな方々だけが楽しんで観るのが大河ドラマではないと思います。
日曜8時に、家族揃ってみんなで楽しめるような作品になってるのではないでしょうか?
ここから興味を持って、歴史や時代劇を好きになり、より深く知る為に色々調べたり、リアリティあるものを追求したい人は進めばいいのではないでしょうか。
自分は歴史が好きだし、三谷幸喜作品なんてほとんど観たことないですが、毎回楽しく拝見してます!
自分は
ドラマも毎回観ているが、真田丸のオープニングテーマ曲が大層気に入っている。朝起きてまずこの曲を聴いてから一日を始める。なんというか、何が起こるかわからない一日を生き抜こうというそんな気になってくる。今の世の中だって楽じゃない。戦国時代の乱世を生き抜いた人々に思いを馳せ、困難に立ち向かう強い気持ちを持てと熱いメッセージを投げかけてくれてるようなこの曲が好きだ。
テレビ観ないからNHKオンデマンドでもっぱら真田丸を観てるんだが、最近、料金を払ってるのにチケットが消化してしまったので観れないとかいうわけのわからない画面が出て前回のドラマが際限なく観れないのが不満。録画してないから前の回も観れることが利点なのに。。。
秀吉と茶々。ほんとに茶々の生んだ男の子は秀吉の子だったのだろうか。秀頼を周りの関係者たちは秀吉の子だと本当に思っていたのだろうか。秀次は三成と違い、秀吉とは伯父・甥の間柄。秀吉に対して父親のような親近感からくる甘えがあったろう。それが許されない事態となった時から秀次の優しさは狂気に変わっていったのかもしれない。きりは最後には斬首されるというのは本当だろうか。今のきりにはそんな最後は知る由もない。
このドラマはこれまで仕えてきた領主を裏切る武田家家臣の度重なる裏切りで始まっている。一見喜劇にみえるが、決して喜劇ではない。
人の心に住むいろんな「鬼」が登場人物を通して描かれている。結局、義を重んじる景勝であっても信繁を置いて越後に帰ってしまった。守らなければならないもののために義を捨てたということか。
いつも45分があっという間に終わってしまう。早丸できる人が羨ましいよ。
これまでの大河で毎回楽しみに観ていたものの中に「葵三代」がある。家康という偉大な父を持ったが故に劣等感に苦しむ二代目秀忠、将軍の跡継ぎという重圧に押しつぶされそうになり衝動的に命を断とうとさえした三代目家光。中でも乳母のお福が将軍になるのは嫌だと泣く家光に涙をぽろぽろ流しながら家康公の御名をいただいている身でなんたることかと家光の頬を叩いて叱咤激励する場面は今でも心に強く残っている。多くの日本人にとって徳川300年という天下国家の礎を築いた家康は治世に長けた人の上に立つにふさわしい英雄としてのイメージを持っているのではないかと思う。しかし、人間としての家康は本当のところどうだったのだろう。これまで描かれてきた「家康」という人物像に一抹の懐疑心を抱く私に、真田丸の家康はリアル感をもって伝わってくる。天下を取るためには「小心」であることも必要なのだ。
昔から大河ドラマを観ている人達が真田丸が気に入らない理由として挙げている中で最も目につくのが「軽い、軽すぎる」という批評だが、それは間違っている。軽いのではない、「軽妙」なのだ。このドラマは、軽妙に、人の本質をえぐり人の世の諸行無常の因果がどこにあるのかそれを真田一族の興亡を通して描いている。不意に訪れる危機をどのように捉え、対処していったのか。なぜ、一方は滅び、一方は存続していったのか。個人個人の思惑が交錯する世の中にあっては人の理想通りにものごとが運ばないのは当たり前。どう捉えどの道を選ぶのか。覚悟していようといまいと必ず訪れる未来への選択。すでにこのドラマでは登場人物によって多くの選択場面が提示されている。軽妙にそして早いテンポで問題の核心を提示しているこのドラマを一回観ただけではわかりっこない。
「花燃ゆ」は論外だったけど「官兵衛」よりおもしろい。小2なった子供も毎週楽しみに見ている。三谷脚本は楽しくみれるので好きです。次回が毎回楽しみすぎて待ちきれないです。
久しぶりに葵徳川三代第30回「大阪城炎上」を観た。この回では、夏の陣で家康を追い詰めながら寸でのところで逃がし、好戦の甲斐なく打ち取られて果てた幸村の最期が描かれている。幸村の打ち取られた首をご覧になりますかと家来に聞かれた家康は「犬にでもくれてやれ!」と言い捨て見ようとはしなかった。よっぽど腹立たしくまた悔しかったのだろう。この戦ではもはや豊臣勢には、今回の「真田丸」に見られる秀長、三成、吉継、清正、正則などの重臣は一人もおらず、幸村だけが孤独に奮闘しているように見えた。「真田丸」の信繁は、人を見る能力に長け、的確な判断力が人並み以上に備わっている人物として描かれている。その信繁が、どうして傾きかけた豊臣方について戦うことにしたのか。真田幸村は人気の高い武将ではあるが、最後は戦いに負けた敗者である。その人物を中心に何を観る側に伝えたいのかとても興味がある。なぜなら、この世の中、いわゆる「勝ち組」より「負け組」の方が圧倒的に多いからだ。
信繁とは、梅は短く太く、きりは長く細く、それぞれどちらも信繁とは濃い縁。そのきりちゃんは、いろんなことを私たち視聴者に教えてくれる。その一つが、登場人物の内面性。彼女にどういう態度を見せるかでその登場人物の性格や価値観がわかる。例えば、大阪に信繁と一緒に行きたいというきりと信繁とがもめている様子を見た景勝が笑ってきりに同行することを許してやる場面は、景勝の人のこころを思いやる優しさが伝わってくる。それに対して、三成。信繁ときりを自分の屋敷に宿泊場所として案内した折、信繁にはちゃんとした部屋を提供したけれど、きりには物を収納する納戸をあてがった。案内されたきりが、ここは人の住む部屋じゃありませんねと言うのを無視して戸をぴしゃりと締めたその態度は、人を人とも思わない三成の冷たさを感じさせる。また、信州に帰れという信繁と喧嘩して不本意に飛び出してしまったきりを侍女として面倒を見てやる寧には、人の窮状を察して手を差し伸べようとする慈愛のような優しさがうかがえる。その寧が横にいるにも関わらず、きりを紹介されていやらしい表情でじっと見る秀吉の底知れぬスケベ根性。同様にきりに好意的な態度を示すが、なぜか秀吉のようないやらしさを感じさせない秀次。視聴者の中にはきりをウザいと感じている人達がいるけど、同様に信繁もきりをウザいと思っている。でも、信繁にとってきりちゃんはだんだんいてもらわなくてはならない存在になってきてる気配。きりちゃん、これからも信繁だけでなく視聴者にもいろんなことを教えてね。でも、情報を収集するためとはいえ、秀次にあまり接近したらいけないよ。だってあの人は末は一家皆殺しの刑にあう人だからね。それにあの人の顔は、豹変したらとても怖そうだ。
山本三成と新井清正の掛け合いがとても気に入っています。対照的な二人。でもお互いにお互いをよく知っている二人。二人仲良く力を合わせていけば豊臣は反映したかもしれないのに。。。
松が帰ってきた。私は松が嫌いじゃない。男たちが互いに腹を探り合い、二心でことに処する中で、松はまっすぐな竹を割ったような性格で好感が持てる。
松さまが帰ってきた。私は松が嫌いじゃない。男たちが、お互いに腹を探り合い、ふたごころで戦っている中で、彼女はまっすぐな心で、夫や家族を大事にし、人を思いやる優しさと強さを持っている。松の一途な夫への思いはきりの信繁に対する愛情と共通するものがある。きりも松も決して軽い心の持ち主ではない。しっかりしているところとちょっと天然なところをあわせ持つ松が真田一族の一員としてこれからどのように感じ行動していくのか、男たちの行動と合わせてみていくのも楽しみの一つだと思っている。
真田丸は毎回何度観ても飽きない。でも、そのツィッターも写真あり動画ありで負けず劣らず面白い。ユーモアを解する人たちは、自らもそのツボを心得ているんだな。
竹内さんはせりふ回しがうまいので現代風のしゃびり方も返ってリアル感があっていい。茶々は、信繁に恋心を抱くようだが、まだ10代のうら若い乙女。同じ年頃の信繁を好きになるのは至極当然のこと。それがいくら天下人とはいえ、老齢の域に入る秀吉の側室になるとわかったとき、実際の茶々はどう思ったのだろうか。茶々は自分が断ることはできない立場にあることを承知していただろう。受けいれるしかない悲しい運命を野心に変え、是が非でも秀吉の跡継ぎをつくり、伯父信長の果たせなかった天下統一の頂点をわが子と極めると心に決めたのだろうか。今の竹内茶々はまだ無邪気さや幼さが目立つが、やがて秀頼の母となり、大阪夏の陣へと時が移っていく過程で一人の女性がどのような変貌を遂げていくのか、今からとても楽しみだ。
少しはまじめに脚本かいてください。
見れば見るほど馬鹿になる。と思います。
観たい人だけ、観ればいい。観なきゃいけない義務はどこにもない。
自分が描きたい真田丸を批判に臆することなく書いてください。毎週、毎週、次の回が待ち遠しい視聴者もたくさんいる。私は長年の大河ファンですが、今回のドラマはこれまでにはない人間くささが気に入っています。久しぶりに最後まで見届けたいと思ってます。大いに筆をふるってください!
大河ドラマを初めて毎週欠かさず見ている。
歴史に興味のない私は普通の ドラマ として楽しくみています。
19話「恋路」を観た。茶々が蔵の中で信繁に話す心の中に閉まってきた残酷で不幸な思い出。まだ10歳だった兄は秀吉の命令でなんと串刺しにされたという。たくさんの身近な人たちのむごい死を体験したら、心の中にその思い出を封印しておかなければまともな神経では生きていけないだろう。奥深くに封印しているつもりでもさびしい夜は父や母そして兄たちのことを思い出して人知れず茶々は泣いていたかもしれない。山吹の花を見て母であるお市の方が好きだったと言ったときの茶々のまなざしは遠い母の懐かしい面影を思い出しているようで切なかった。刀が倒れかかり思わず信繁の胸に抱かれたときの茶々の漏らした吐息は信繁の肌の温かさに触れて出た茶々の一瞬の安堵感を表しているように思えた。死ぬことに恐怖は感じなくなったという茶々の心の闇の起因を知り、信繁も特別な感情を抱いただろう。しかし、それは単なる恋愛感情では片づけられない、戦国の世という乱世の中で生きる者にしかわからない共感の感情であるように感じた。なぜなら、信繁自身も最愛の妻を戦場で殺されているからだ。心の中に「寒さ」を隠して、気丈に運命の中で生きていく茶々に私は限りないシンパシーを感じた。
きりにつれて来られた信繁の窮状に快く相談にのってやり三成に手紙まで書いてやる秀次。この人はきりちゃんのことが気に入ってるから癖のあるひとだったら信繁に嫉妬して冷たくあしらうだろうにそれをしない。寧が言っていたように、秀次は心があったかくて素直な人のよう。そんな好人物がどうして悲惨な結末を迎えなければならなかったのか、これからどのように描かれていくのかとても気になるところだ。秀次を演じている役者さん、なかなかいいな。
たとえ、怒り心頭したとはいえ、度を超すむごい刑罰を与える秀吉。もう常軌を逸している。まるで動物霊が宿っているようだ。親類、縁者に至るまでことごとく容赦しないという人の情けを忘れた秀吉は片腕である忠臣三成の身を呈した苦言を聞き入れるどころか切腹させようとする。もうこの時点でトップに立つ人間の資格はもってない。その秀吉の振る舞いをいさめる北の政所。真っ向から秀吉に意見ができるのはこれまで秀吉を陰で支え、勇気づけてきた寧々しかいない。母を人質にだしても寧々を人質に出すことはなかった秀吉。茶々に対する恋心より勝る寧々への深い信頼。普段でじゃばることはないから尚更効ける寧々の言葉。さすが寧々。秀吉のプライドを汚すことなく、下っ端から頂点にまで昇りつめた自分ではないか、こんなことで目くじらを立てず、もっとおおらかな気持ちをもてと秀吉に戒めと勇気を与えている。トップに立つ人間は、孤独で人が自分をどう思っているのかが一番気になる。常にあるだろう秀吉の出自のコンプレックスを寧々は一番良く知っている。
生まれた子が秀吉の子ではないかもしれないと一番思っているのは秀吉本人かも知れないという寧々。その秀吉に冗談めかして「お腹の子は源次郎の子。。。。ではなく、間違いなく殿下の子。」といった茶々。本当に殿下の子か。今回までの展開を観ても、このドラマはお腹の子は源次郎との間に生まれた子という可能性が大だという推測のもとに描かれているように思える。史実というけれど、どれだけ本当のことが伝わっているのか。本音と建前を使い分けていかなければ生きていけない人の世にあってその可能性は全くないとは言い切れない。茶々は自分に対してひたむきな秀吉に憐憫の情けからくる愛情はあったかもしれないが、女性がその男性の子を産みたいという感情を抱く相手は、秀吉ではなく信繁にあったとみる方が自然だ。自分が愛する人の子を秀吉の子として産む。そのことに無情の戦乱の時代に生きる茶々の自らの気持ちに誠実に生きようする前向きで誇り高い野心を感じた。
病弱であったが、健気に信幸を支え慕ってきたおこう。真田家のためとはいえ、本田信勝の娘と縁組をするために離縁すると信幸から伝えられ信幸の立場を察して素直に受けるおこうの心情に思わず目頭が熱くなった。信頼し合いお互いを支えとする夫婦の愛より「家」の繁栄や存続が大事とされる戦乱の世。目の中に入れても痛くないほど大事に育ててきた娘稲の嫁ぎ先で涙にむせぶ父信勝。その稲は、婚礼の儀式が終わり信幸と対面したとき夫となる人にみせる笑顔はなく沈んでいた。その稲からでた「寒うございます」という言葉には、単に肌に感じる寒さだけではない心の寂しさや不安もあったろう。夫と無理やり離縁され家康の正室になった朝日、そしておこう。真田丸はホームドラマだと一部では評されているようだが、私にはそう感じられない。
「恋路」と「前兆」を何度か観ていて思った。もしかしたら、秀吉は、茶々に自分の跡継ぎをつくるために意図的に信繁を茶々のそばに置いたのではないかと。茶々が蔵を一緒にまた見に行きましょうと信繁に言ったとき、秀吉は顔色が変わった。一見、秀吉が茶々と信繁との蔵の中でのことを誤解し、信繁に激しい嫉妬を抱いたと思える場面だが、以前にも若い男性と幾たびか恋仲にある疑いをもたれた茶々が好みの男性である信繁にアプローチしないわけがない。茶々と信繁が深い仲になるのは秀吉の想定内であったろう。またこのとき秀吉はどの蔵に入ったのかに執着している。二人の仲を問い詰めてはいない。秀吉のことを一番よくわかっている寧が、信長より秀吉は恐ろしい人、そうでなければ天下は取れないと言ったが、もしかすると、明智光秀を後ろで操っていたのも秀吉かも知れない。また寧は自分に子種がないのは秀吉自身がよく知っていると言っている。自分に子種がないので、自分が見込んだ優秀な人物と茶々との間にできた子を世継ぎにさせる。風習とはいえ、生まれた子をすぐに捨てさせ、その子を自分が拾うことで子種の親とは縁を切らせ、拾った自分が本当の親になると思えば血はつながらなくとも立派な親子の縁だ。きりは秀次を待つ間、信繁を問い詰めて一瞬の隙が自分にもあったと白状させている。ライバルの家康は側近に秀吉の最大の悩みは跡継ぎがいないことだと述べている。世継ぎにしようと思った秀次は人がいいばかりで天下を治める才がない。自分の目にかなう世継ぎをつくるために茶々と信繁を接近させその二人の子を世継ぎにするという秀吉の謀が暗に描かれていると思った視聴者は私だけではないだろう。三成は恐らくその謀を知っていたのではないか。歴史の真実は結局、蔵の中だ。その蔵の中をお見せしようという面白さがあるから「真田丸」は面白い。
真田丸、毎週楽しみにして見ています。
TVドラマはあくまでフィクション。エンターテインメント性が無いとみる気になりません。
時代考証や歴史の勉強をしたいのであれば、ちゃんと学術書を読んでください。それで自分なりに歴史を構築するのが歴史を学ぶ人の姿です。真実だと思っていることには、それぞれの歴史学者達の想像や主観が入っているものをできうる限り客観的に論証するのが歴史です。そのことを理解せずに、自分が事実だと思っていることと、ドラマが異なるということを問題にするのは愚の骨頂です。
それをドラマに求めるのは学が無さすぎです。
ドラマを観て視聴者はいろんな感想を持つ。その感想を自由に書くのに制約はない。歴史研究をするために大河を観ているのではない。史実にフィクションを織り交ぜながら作成されたドラマに視聴者が刺激や感動を受け、それを一感想として投稿を寄せるそういう場に、先行研究をもとに真理を追求した研究論文サイトではあるまいし、視聴者の自由な推理や考えに場違いなケチをつけるそちらの方が愚の骨頂だろう。
真田丸を観て、何も心に残らないという人たちがいるがその心意がわからない。歴史を題材にしたこのドラマには世の中に生きる人々の前向きな生き様が濃くかつ軽妙に描かれており、毎回、共感とともに感慨深くなる場面あり、笑ってしまう場面ありで見応えがある。
氏政、己を支えてきた誇りが己を滅ぼすことになろうとは。名より実をとる、柔軟に生きることのなんと難しいことか。高嶋さんの名演技、これからも楽しみだ。
幾たびか見られる放尿場面、相変わらず、徳川家康さんは面白い。
まつの旦那さま、お久しぶり。こんな人が世の中多かったら、鬱になる人は少なかろうな。
茶々、小田原城を眼下に眺めながら、これまでにない硬い表情。周りの人にはわからぬ思いが誰の心にもある。茶々は思われているほど単純な女ではない。これからどのように描かれていくのかとても楽しみ。
いつも源次郎のことを忘れないきり。たとえ、小さいおにぎりでも変わらぬ思いを伝えるのにぬかりはない。
源三郎、会議の席に現れた舅の平八郎に怯むことなく対応するその姿に将来の当主としての品格と度量をみた。平八郎も可愛い娘を嫁がせてよかったと思ったに違いない。
人はどのようなことに心を動かされるものなのか、信繁を通してこのドラマは教えてくれる。次回も楽しみだ。
全ての歴史は現代史であるというのはカーやクローチェの言葉ですが、確かにそうなのですよね。歴史というのは昔の人の心持ちを読み解くという作業なのですが、現代人同士の夫婦親子恋人兄弟でさえ相互に理解することが不可能なのに、400年前の、まして正義が戦争という殺人と同義であった時代の秀吉や家康の心を理解することは難しい。現代ドラマはせいぜい現代人の何割かが共感できるレトロ風の茶番劇というべきなのでしょう。そういう意味では日曜晩にテレビをつけている何千万認可が四十分見て笑って楽しめれば十分成功した番組と言えるでしょうw
自分みたいな歴史好き的には隙のある部分にケチつけて知識を見せびらかしたいのだけど、いかんせんこのドラマの考証の人があまりにも凄い人なので、そんな無茶なって描写も「まぁドラマ的にあえてって事やろね」止まりで、ミスだー!と騒ぐ勇気が無い。
家族で観れるような楽しさ、明快さを重視してる部分に文句言うのもなんだし、仕方がないので毎週日曜と土曜の再放送をワクワクしながら観ている。本当はもっと硬く重く高尚なのが好きなんだぞ…。
利休は秀吉から厚い信頼を受けながら、その一方で秀吉の敵方である北条とも商いをしていた。武士にしてみたら、それは裏切りである。だから死ぬ羽目になった。人は力を持つようになると、さらにもっと力を蓄えようとするところがある。権力というのはそれだけ人の欲をそそるものなのかもしれない。茶々に贈ろうとした等身大の利休の像は、人の心を支配し自分の思うように操ろうとする利休のいき過ぎた野心の象徴のように思えた。信繁は鶴松の瀕死に直面し心が動揺している秀吉に悪いことを口にすると本当になると言い明るい将来を想像させようとした。それを口にする秀吉の表情には希望の光がさしていた。人は、目標を持ち、野心を持つと、エネルギーがわいてくる。このままでいいと思うと、そのエネルギーが萎えてしまう。利休ほどの人物でさえ暴走しようとしたのであれば、百姓から身を起こし頂点を極めた秀吉がバランスを失うのは当然かもしれない。常に周りと自分とのバランスをとりながら生きることのむずかしさを権力欲を通して感じた回だった。
真の大河ファンとか言ってる人、真の大河って何?
大河イコール歴史ドラマって、思っている人多いんですよね。
作家の考え方で、歴史ドラマなんてどうにでもなっちゃうことに気が付いていない。「私は司馬遼が好きで・・・」とかいう人結構いますが、この作家の乃木大将嫌いは凄くて、ほぼ能無し扱いだもんね。
真の大河・・・なる人たちは、新しい物事をいつでも快く思わない人なんだよね。昔は良かったが口癖でね。たぶん昔の紅白は・・とかいう人と同じかもね。
少なくても真田丸は、たぶん家康ってこんな感じだったのかな・・・とか、
いろいろ考えさせてくれるドラマです。NHK日曜8時が私の中で戻って
きました。
きりちゃん、やっぱり、秀次を死に追いやった黒幕はほかならぬ茶々だよね。「拾」は秀吉の子じゃない。陰で秀吉を牛耳ろうとする茶々の行為はあからさまに描かれてないけど、秀次を一番邪魔だったのは茶々だ。秀次に気に入られているきりちゃんの「お茶々さまが怖い」という言葉にすべてが集約されているような気がする。
それにしても、信繁ときりちゃんはどうやって結ばれるんだろう。
一族に一人、こういう人物がいてくれると頼もしいと感じさせるおとりさまが前回、とうとう亡くなった。草笛さん演じるとりと高畠さん演じる薫の嫁姑の会話がおもしろくて好きだった。派手で自己中心的な嫁と地味でしっかり者の姑。何より、姑の言葉に嫌味を感じながらその姑を立てている嫁の姿がまた良かった。そのおとりさまが最後に残した言葉がまた秀逸。「人は、誰もが宿命を持って生まれてくる。遅いも早いもない。おのが宿命に気づくか気づかぬか。」…. 信幸と信繁。人生は最後の最後までわからない。異なる宿命を担う二人がそれぞれの人生が終わったとき、果たして、信幸はどちらの人生がよかったと思うだろうか。ちっとも価値がないと思うものごとが時が経ち、あとあとになって価値があったと気づくことがある。時代を超えた人の世の陰陽のあり方を描くこのドラマは毎回、印象に残るものが用意されていて飽きることがない。
信幸の今は鳴りを潜めている正妻「稲」のはじける姿を早く観てみたい。
新しい秀次像。良かったな。新納さんの秀次に対する思い入れが伝わってくる演技もまたよかった。最後、自害する直前に顔を上げて一瞬笑みを浮べたときの秀次はどんな心境だったのだろう。これですべての重責から解放されると思ったのか、不甲斐ない自分に可笑しさがこみ上げてきたのか。しかしその笑みは一瞬にして消えた。自分の家族のことを考えたら死ねないという気持ちがあるうちはまだ余裕だ。心をすっかり病んでしまった秀次にはそんな余裕はなかったろう。秀長が生きていたら、秀次はやはり同じことをしたろうか。むやみな殺生を繰り返す独裁者の秀吉は大事な身内にまで自分への恐怖心を植えつけてしまった。負の連鎖はこれからまだまだ続いていく。
しかし、徳川の2代目を引き継ぐ秀忠。頭に血が回ってないね。よかったねえ、優秀な参謀がいて。家康もさぞ頭が痛かろう。
喜劇の要素を含んだ真田丸には画面にでてくるだけで笑いがこみあげてくる登場人物が何人かいる。中でも、近藤芳正さん演じる賤ヶ岳7本槍の一人平野長泰。いつもスルメを食べながら信繁とやり取りをする場面や人の話に考えを巡らしているときの意味ありげな表情、、控え部屋でリラックスしているときに自分より身分の高い人物が入ってくると急にぴゃっと直立不動になり頭をうなだれ気味に用件を聞くその姿、昇進していく信繁に自分も出世したいと恨みがましく心情をぶちまけて走り去るところなどどれも人間味があって面白い。近藤さんの見ていて思わずプラグを差し込みたくなる存在感のある鼻がまたいい。平野長泰の生命力と好奇心の強さそして出世欲は、自害した秀次とはある意味でまさに対照的だ。出世したいと思いながらなかなかその機会を得ることができない人物のくすぶった心理をみごとに演じている近藤長泰に毎回笑いを誘われている。
真田一族を陰でしっかり支えてきた昌幸の母とり亡き後、これからの真田一族を裏で支えるのはいったい誰だろう。薫か、稲か、それともおこう?昌幸が美しい太夫に入れ込んでいく気配だが、それは何か思惑があってのことか。また、薫の出自が公家だというのは嘘か。まさか遊女じゃあるまいな。
秀次亡き後、何年も経たないうちに秀吉が病で死ぬ。茶々は秀吉の命が長くないことを秀次が死ぬ前から予感していたのではないか。滅びゆく小田原城を厳しい表情で一人無言で見つめていた茶々。何かがあるんだ、何かが。秀次の一族を皆殺しにするなんて、秀次と血の繋がっている者ができるわけない。
ドラマは史実をベースにしたフィクションなれど、本当のことが知りたいという欲望があふれてどうしようもない。そう思わせる魅力が真田丸にはある。謎説きを視聴者にゆだねているようなところが。
家康が虎視眈々と天下を狙っている。これまで飛ぶ鳥落とす勢いで天下を取るまでのぼりつめた秀吉が幼い秀頼を残して死んでいくまでの姿を名優、小日向秀吉がどう演じるのかとても楽しみだ。秀次は自害の直前、陽光が部屋に差し込む美しい場面状況であったが、秀吉の場合はどうだろうか。。。
すっかり老いた秀吉。それを必死に隠そうとする側近たち。大樹が倒れるのを密かに待つ家康。少しの段差にもつまずいてしまう秀吉に対して、家康の廊下を歩くその一歩一歩の足取りは力強く次の世を担う風格が漂っている。捨の死、秀次の死の連続はすっかり秀吉の野心や平常心を狂わせてしまった。すでに茶々の将来の計画に老いさらばえゆく秀吉はなく、拾を中心とした天下の保持しか恐らく頭にない。信長の血を引く茶々と家康。対立する二つの存在とそれに関わる多くの人たちの思惑が絡み合い、やがて袂を分かつ将来が待ち受ける。無常で無慈悲な人の世で平安を願う人々の心を癒すかのように伴天連の讃美歌が流れる。そして、そのような人の世の混沌を一気にさらおうとするかのように不意に起こる破壊的な天災。自然の理の中にあっては人はその脅威を免れることはできない。これから描かれていく時代の「転変」に真田家を始めとする人々がどのように対処していくのか、これからますます楽しみになってきた。
真田丸で描かれる外の男たちの世界も面白いが、内を支える女の世界もなかなか面白い。
寺小姓の時、運命的な出会いをし、以来、秀吉のために尽くしてきた三成よ。人の計り知れぬ苦労を愚痴ることもなくわが胸深くに沈め、ひたすら主君への忠義に命を捧げてきた三成よ。天の守護を受け負け知らずかにみえたその主君は、今や日一日と壊れていく。かつての威厳は見る影もなく哀れな姿をさらす主君を目の当たりにして、三成は今何を思う。
山本三成の感情を抑えた深い演技、ほんとに素晴らしい。
変わり果てた秀吉を見て、大きなショックを感じ、秀吉にすがるように号泣する清正。決して態度や表情を表に出さないが、清正同様に、そばに仕える者として悲嘆しているだろう三成。秀吉に対する変わらぬ側近たちの忠義心には滑稽な描写の中にも静かな感動がある。彼らは秀吉によって活かされ、自分の能力を最大限に発揮し、大きな存在価値を得ている。その秀吉に対する「恩」がしっかり根っこにあるのだろう。世の中で自分が必要とされていることを感じることは人の本質の喜びなのかもしれない。
人と人を結びつけるものは何か。それを真田丸はこれまでの多くの裏切りと忠義の場面を通して教えてくれている。信繁は縦の線、きりは横の線で、物語の重要な人物描写の役割を果たしている。信繁がなぜ、三成方で関ヶ原を戦ったのか、またどうして負けなければならなかったのかそれを知るのにも見逃せないストーリー展開が続いている。
信幸の正妻、稲が夫にやっと心を開いた。信繁の正妻、春には父親譲りの機転の良さと賢さがあるようだ。おこうやきり、そして豊臣家の寧と茶々、徳川家の阿茶を含め、女性たちがどのような役割を果たし外に影響を及ぼしていくのか、その点も見逃せない。
死期が近い秀吉が、自分が築いた大阪城の天守閣から広々とした城下町を眺めながら、まるでこれまでの半生を振り返るかのようにつぶやくせりふが印象的だ。思ったことの半分もやれなかった…..清盛が成し遂げたことを自分はできなかったとさびしそうに言う秀吉。しかし、その秀吉と清盛には共通することがある。それは己が築いた栄華が己一代で終わってしまったこと。なぜ、続かなかったのか。
人を人とも思わぬ治世は、決して長くは続かないのだ。
。。。ただ春の世の夢のごとし。
「終焉」が早く観たい。
大阪編に移って、ずっと楽しんできた小日向秀吉がとうとう死んだ。死に際に見せた一筋の涙が印象的だった。家康が持ってきた鎧兜に秀吉が何かを感じたからだろうか、馬のひずめの音とともにあらわれた白装束を来た血だらけの少年におびえる姿は、自分がそれまでやってきた残虐な過去に対する恐怖心と後悔の表れのように見えた。人は死ぬ直前にこれまでの自分の過去が走馬灯のようによみがえってくると聞いたことがある。戦国時代とはいえ、たくさんの人の命を奪ってきた自分の過去に秀吉自身が苦しめられた死に際だったのかもしれない。あらゆるものを手中に収めてきた秀吉も自分の寿命を延ばすことはできなかった。次の世を担う秀頼を守れなかった秀吉の無念が、呼び鈴に手が届かず、こと切れて、ポロリと流れる一筋の涙に込められているように思えた。
小日向文世という役者さんの渾身の演技に心から賞賛を送りたい。
いよいよ関ヶ原がちかくなってきましたねぇ。関ヶ原の合戦は天下分け目の戦いと言われて、昔からよく大河でも観たし、民放のドラマでも何度となく観てきたから、ことの勝敗はわかります。でも、今回は、特に徳川家康の人物像が今までと違うから興味がわきます。戦が嫌だ、うまく生き延びればそれでいいという保守的な家康さんは初めてです。その小心で出世欲のなさそうな内野家康と今は亡き秀吉の命を受けた忠義ばりばりの山本三成とのこれからのかけひきと戦いぶりが今から楽しみ。
ところで、「終焉」で家康暗殺を試みて失敗する寺島昌相ですけど、関ヶ原の戦いで何らかの活躍をするんじゃないんですか?寺島昌相は戦なしには生きられない人なんだから、あれぐらいで死ぬわけないですよね。きりちゃん、教えてくれませんか?
本当は、ほんとうは、お茶々さまは普通のお譲さまなんだなぁ、きっと。人の「死」というのを人から聞くだけで実感がなかったから、すっかり老いてしまった秀吉を、落ちたら死ぬかもしれないと知りながら木に登らせたのかもしれない。人の不幸に不感症の残酷な面をもっていると思っていた茶々が瀕死の秀吉に会って示した意外な態度。人の「死」を目の当たりにして、初めて現実を実感したのかもしれない。
明日は終戦記念日。
アメリカが嫌いで言いたいわけじゃないけど、原爆を落として、落とされた側にいったいどれほどの惨状と不幸な影響が永く続くか、ちゃんと想像し実感していたら、アメリカは日本に原爆を落としただろうか。ヒットラーは、何百万というユダヤの人を殺すよう命じたが、自分は愛人らと戦争のかけらも感じない風光明媚な景色を一望できる山荘ですごしている場面をフィルムで見たことがある。その頃、強制収容所で行われていた残酷な殺戮を、ヒットラーは実際に自分の目で見たことがあるのだろうか。
瀕死の秀吉を見舞ったときの茶々の態度を見て、ふと、そういうことを思った。
家康は、「応酬」の中では、暗殺されそうになったのがきっかけで正信に煽られ、天下を取る決心がついたように描かれているように見えるが、そうではなかろう。秀吉が死ぬ前から家康は天下を取る腹積もりであったはずだ。そう思われる場面が「終焉」にある。秀吉の寝室に、信長からもらったという鎧兜を家康が持ってくる場面だ。家康は、その鎧兜を通して、「信長が暗殺されたとき、その好機を逃さず、あなた(秀吉)が天下をわがものにしたように、私もあなたが死んだら、この好機を逃さずに天下を取りますよ」と病床の秀吉に暗にメッセージを送ったのではないか。秀吉は自分のしてきた過去から家康のその本心を見抜き、三成に家康を殺せと命じたのだ。戦は嫌いだ、伊賀越えは二度とごめんだと信繁に言うときの家康の背後にはしっかり鎧兜が写されている。そして話を聞く信繁の表情は疑いのまなざしだ。
戦国の世で、大名家に生まれ、幼い時から人質に取られるなどして辛酸をなめてきた家康だ。長男も切腹させられている。やるかやられるかの人生を送ってきた人間が、世の中の無常を感じていたとはいえ、信長亡き後、大名の自分が百姓出の成り上がりに従わねばならなかったことに悔しさもあったはずだ。
自分は戦は嫌いだ。だから、天下を取って戦のない世の中を作る。。。それが内野家康のずっと以前からの本音ではないかと二話を通して思った。
秀吉の亡骸を納めている甕を見ながら、そばにいる信繁の手を握った茶々。浮かれている表情ではない。これから、茶々が信繁を頼りにしようとする心の表れか。茶々は豊臣家の跡取り秀頼の母としてこれからどのような行動をとるのか。寧との関係はどうなっていくんだろうか。
三十郎がまた信繁のもとに戻ってきた。信繁の陰のようにびたっと寄り添っていた三十郎。でもこの二人、先は袂を分かつのではなかったろうか。豪傑の父の血が流れる三十郎が信繁のためにどのような働きをするのか興味津々。
昌相は今、有馬温泉で療養中。しかし、天井から家康を狙っている場面はちょっとスリルがあった。徳川は伊賀、豊臣だって専属の忍者集団を抱えていだろう。合戦の裏で暗躍する陰の動きはどのようなものだったんだろうか。
寧。ちゃんと三成という人物を知っている。少年の時からそばでみてきたのだ。家康の口車に乗るような女性ではない。徳川がたに傾いたのは茶々との確執があったからか。
三成は、秀吉から家康を殺すよう遺言を託された時から半ば死を覚悟しているだろう。死を覚悟している者に怖いものは何もない。いつ、どのようにして家康を討つか、その凄みが山本三成の演技から滲みでていていて、天下をねらう内野家康との対比が面白い。
景勝。相変わらず、自分の理想と現実に悩める姿。仕方ないよ。だって、たくさんの家臣や家族、そして領民を抱えてるんだから。理想だけでは生きられない。
三成と清正。お互いに秀吉に可愛がられたんだから、有能な二人なんだろうけど、才が違うんだよな。清正の余計に情が厚いところが合理主義の三成には疎ましいんだろう。清正が朝鮮出兵に行くあいさつで秀吉に会ったとき、二人が秀吉に手招きで呼ばれて、近くに進み出るシーンが、秀吉を心から慕う二人の感情が表れていて微笑ましかった。これほど忠義を抱く家臣をもっていた秀吉はとても魅力のある人物だったんだろうな。
正信はさすが家康の心を見抜いている。家康が何を欲しているかが読めてそれを実行に移す才をもっている。自分の心を読めない秀忠を家康は少しは頭を働かせろと叱ったけど、秀忠が普通。でもこの人、家康に叱られ失敗をしながらもちゃんと後に三代目の家光に将軍職を引きついでいくりっぱな主君に成長するんだよね。参謀も良かったんだろうけど。
主人公の信繁はちゃんと物語の主軸の中にいる。ときにはこんな場面にいるかなと思うときがあるが、。真田丸は、信繁の目を通して、その時代の天下の流れが描かれていると捉えれば、そこにいなければいけないのだ。きりも同様だ。今度は、徳川方につく細川に出入りするようだ。こんなことありか?と問題にする人もいるが、きりの役割を考えればこのドラマの中ではありなのだ。だから、長澤きりちゃん、信繁の側室になるのはまだきっと先ですね。
この大河、政権がゆらいでいるこの時、表との関わりとして、陰で暗躍する裏の世界ももっと描いてくれたら面白かろう。
三成にはわかっている。今でなくとも、いずれ徳川が豊臣を滅ぼすことを。今、そこに家康が目の前にいたら、家康を殺して自分も自害するくらいの覚悟を三成はしていただろう。無私の境地で秀吉に仕えてきた三成。正継、信繁、そして清正も三成が純粋な男であることをよく知っている。なぜ、わざわざ三成の本意を確かめるためにやってきた清正に、秀吉から家康を殺せと言われたことを伝えなかったのか。よっぽどなんだろ?と聞いた清正になぜ正継にしたことを教えなかったのか。清正が自分に負けぬくらいに秀吉の忠臣であることを知っているはずだろうに。三成は、内心、清正を見下していたようだが、清正の方が三成よりも懐が深く、人としての情がある。
北条亡き後、諸国を転々とし、今は金吾の元に世話になっていながら、
豊臣方の情報を流す江雪斎。おのれを振り返り、数奇な運命だという男に魅力は感じないが、人の世の在り方に順応して生きていこうとする人間の一つの姿だ。主の秀吉は、賢い若者が好きだと言っていた。三成も賢さを人に求める。しかし、そこに、人の欠点も認める情の深さが景勝のようにあったら、真田丸の三成はこんなにも人に背を向けられることはなかったのではないか。
信繁に、三成はさびしい男なんだ、助けてやってほしいと言った秀吉。三成の欠点が将来に禍することを見抜いていたのだろう。負けるとわかって秀家たちに責任がかからぬよう左近ら自分の家来だけを引き連れて家康を討とうとした三成を、それを止めようとする景勝が無言で抱きしめるシーンは、三成の気持ちを察する景勝の情け深い思いが伝わってきてとても良かった。
ちらしの裏にでも書いておけばいいことを延々と書くとか
日常で誰にもまともに相手にされないさびしい人
じゃあ、どういう感想だったらチラシの裏じゃなくて、口コミ欄に投稿する価値があるわけ? 言っとくけど、私は人から相手にされないわけでも暇をもて余してるわけでもないよ。毎回、感想があふれてくるから仕方ないだろ。いちいち人の感想にケチつけないでもらいたい。
関ヶ原の戦いは観られなかった。でも裏切られた気持ちはない。豪壮なシーンは葵徳川三代を観ればいいし、描かれないことで逆に想像力が刺激される。なにより、昌幸、正信ら策士たちの戦場の知恵比べが興味深かった。また、秀忠の初陣のようすもリアルで、常に彼の頭の中にあるんだろう父家康の期待に応えようとする気持ち故の緊張感が伝わってきてよかった。
このドラマ、一人として、カッコいいばかりの人物は出てこない。迷い、悩める姿、そこがいい。非情で深刻な状況の中にも、「可笑しさ」を忘れないこの三谷ドラマの更なるこれからの展開が楽しみだ。
37話「信之」。
この回が今までの中で一番心に響いた。不運に落ちた一族の親子、夫婦、家族、主従の人間関係の厚い情に思わず涙がでて、ドラマが終わっても泣けてきた。関ヶ原の戦い模様は返ってなくてよかった。三成と正継の最期の場面、それで十分だ。
真田家の不運が象徴的に描かれた悲しくも感動的な内容、そして、どの役者さんの演技も素晴らしい。
不運の三成、最後、首を討ちとられる際に見せた笑みが救いだった。
これまで、一度も見逃すことなく観てきた大河はこれが初めてだ。早くも40話近くになった。いろんな批判が飛び交う中で、これまでとは違う描かれ方に面白さや新鮮味を感じながら観ている。
どんなに不幸な状況にも、絶体絶命のピンチにも、挑む姿勢を崩さなかった昌幸。どんなに周りから憎まれ疎遠にされようとも秀吉への忠誠を忘れず、無私の境地で忠義を全うした三成。その三成という人物を理解し、病身でありながら戦場で豊臣のために果てた吉継。三成と反目しあいながらも心では三成と忠義の苦労を分かち合いたかった清正。戦場で一つの傷も負ったことがなく勇猛果敢であったが故に、些細な怪我に己の老いを悟り、忠誠を尽くしてきた家康の惜しむ言葉を背に静かに一線を退いていく忠勝。こうした日本の歴史上に名を残す人物たちが、まるで生きているかのように活き活きと個性的に描かれるので画面を去られる時には身近な人が去っていくような感があってとても寂しい。
昌幸は、かつて信玄公が言われたという「人は石垣、人は城」という名言を連想させるような印象深い言葉を信繁に残して、あの世から迎えに来た親方様とともに旅立っていった。あの世もこの世と同じように忙しいんだろう。
父を亡くした主人公の信繁が、家康という怪物をどのように捉え、九度山での幽閉生活から大阪の陣へと関わっていくのか、本当に面白いのは、これからだろうと思っている。
信繁と秀頼、そして大助が…..
高畑さん演ずる薫も今回で見納めとなった。薫が画面に出てくるとそれだけで可笑しさが込み上げて笑ってしまう。そういう演技ができる女優さんは日本ではめずらしいだろう。真田丸では姑のとり同様、貴重な存在だったと私は思っている。
きりちゃん、最近、落ち着きと貫禄が出てきましたね。大切な人生をたった一人の男性のために捧げてきたきり。きりが信繁に抱き続けた愛情とそれ故の敗北感を今の長澤さんはよく演じていると思う。最後の最後に信繁がきりにどういう態度を示すのかとても興味がある。
真田丸にはいろんなタイプの女性が出てくる。一人一人を深く描写するのは難しいだろうが、この女性はきっとこういう側面を持っているだろうと推測しながら視聴するのも楽しい。
戦国時代に生まれ、戦をどのように捉え、どうしたら勝てるかそれを幼いころから学んできた信繁。知略に優れた名将、父昌幸の薫陶を受けてきた信繁が、まざまざと田舎に引っ込んでいるわけがない。戦うからには、必ず勝ちに行く。戦を前にして、父昌幸は「負ける気がせん!」というのが口癖だった。その父の忌み名を譲り受けた幸村がこれまで培ってきた経験と知恵を活かして、どのような策略で大阪の陣を戦うのか。これからが真田幸村の本領発揮というところだろう。後、10話ぐらいあるしね。楽しみだ。
今の九度山でのささやかな幸せを捨てて大阪へ行くかどうか思い悩む信繁。その信繁の背中を押したのはやっぱりきりだった。
きりが信繁に言った、自分が幸せかどうかは問題じゃない、自分を必要とする人のために尽くすことが大事というせりふは、きりの人生そのものじゃないか。信繁にたとえウザいと言われようとも献身的な愛情を捧げてきたきりが言うから、たとえそれが彼女の思い込みでも妙に説得力がある。
土を耕す鍬を再び刀剣に変えて、大助とともに大阪に向かう決心をする信繁。不利な戦に自分の息子を参戦させる父信繁の気持ちは複雑だろう。きりも大阪についていくのだろうか。
世の中心から一気に外され、今大阪がどうなっているか情報さえ伝わってこない幽閉生活を送る羽目になった信繁。かつて殿上人に仕え、周りから羨望されるほどの勢いがあった彼が、九度山での生活を余儀なくされた時の落胆は想像に難くない。しかし、人は生きているうちに生きていかなければならない故に、現状を受け止め、そこにささやかなりとも幸せを見出し生きていこうとする。信繁も当初は、武将としての心意気があったに違いない。しかし、大阪では感じる暇もなかった九度山での家族とともに過ごすささやかな幸せに生きがいを見出し、ここで余生を送ろうという考えに変わりつつあったとしてもおかしくない。そこに突然来た大阪からの誘い。それも徳川との大戦だ。信繁は悩み、自問自答しただろう。きりは、信繁のその心の葛藤を代弁したに過ぎない。この役目はずっと信繁を見てきたきりにしかできない。
きりは、かつて昌幸が迷ったとき、とりに相談し、とりが昌幸の背中を押したのと同じ役目を果たしたのだ。きりは信繁のもやは分身だ。このドラマ、決して女性を軽くあつかっているわけじゃないと私は思う。
哀川翔さん演じる後藤又兵衛が品がないなんていう人がいるけど、これくらい野心満々の荒い気性でないと、権力を掌握しつつある徳川と戦うことなんてできないよ。世の中をひっくり返すくらいのエネルギーが必要なときに品があるないなんて言ってられないだろう。戦に勝ち、大名になるという野心に燃えている男のリアル感が伝わってくる哀川又兵衛さん、これからますます大いに暴れてください!その方が、信繁さんも引き立ちます!
久しぶりに再会した信繁と茶々。お上と呼ばれるようになった茶々の登場に春を告げる鶯の鳴き声はもう聞かれない。二人の間に見えるのは、どっしりと今も威厳をもってそびえる大阪城。茶々は信繁が気に入っている。今もそれは変わらないとその表情が語っている。これから二人はどのような心の触れ合いを見せていくのか、これからの展開が楽しみだ。
白髪の歯抜けじいさんに変装したときの歯がない人特有のしゃべり方に思わず吹き出したが、それにもまして感心したのは、その変装から一転して凛々しい武士の姿で現れた時だ。あの時、廊下を歩く姿で、もう今までの九度山暮らしからいっさい離れて、打倒徳川に燃える幸村になったことが体全体の雰囲気から如実に伝わってきた。左衛門佐幸村誕生の瞬間だ。この時から、本当の意味での関心が父昌幸から幸村に移ったと感じた。こういう演出に応えられるのは演技力があってこそ。
幸村の活躍、最後まで観てやるぞっ。
九度山の村長宅で、徳川方の見張り役竹本義太夫を招いた宴会の最中に信繁たちが逃亡する際、竹本が村長から注がれたのが酒ではなく米のとぎ汁だったことから信繁たちの逃亡が発覚するという場面で、とぎ汁より酒を飲ませた方がよっぽど時間稼ぎになるし、とぎ汁にすることは無意味だとか、逃亡がどうやって発覚したかを示すための場面として設定されたとかあるけど、ちょっと違うんじゃないかな。
あれは村長や村人たちに後々、迷惑がかからないようにするための信繁の秘策だったのではないだろうか。
罪人をかくまったり、逃がしたりすれば、あの当時は現代では考えられないような重い咎めを受ける。信長や秀吉だったら、村全体を処刑したかもしれない。そういう時代に、信繁たちが村長宅での宴会中、逃亡したとなれば、当然、村長や村人が協力したのではないかと疑われる。かつて、晩年の秀吉が忠臣であった三成に諌められるほどの残酷な仕打ちをした落書き事件を見てきた信繁が、自分たちが逃げた後の村のことを気にかけないわけがない。竹本に注いだのが酒だったら、村長が酔わせて逃亡の時間稼ぎをしたということになるだろう。しかし、米のとぎ汁だったら、いなくなった直後に今度は自分が踊ろうという竹本にすぐに気づかせたわけだから村長は逃亡は知らなかったという理由づけになる。
米のとぎ汁を飲ませたのは、信繁が村に迷惑がかからないようにするために考えた策だと私には思えた。
稲が、信之とおこうの息子を嫡男にと申し出たのは、これまで陰で信之と自分を助け仕えてくれたおこうへの恩返し。
九度山の村長が、宴会の席で信繁たちの逃亡に薄々気づきながら、徳川方に密告せず逃亡を助けたのは、貧しい村を潤してくれたことへの恩返し。
幸村が、傾斜していく豊臣のために自らの命を賭して徳川と戦うべく嫡男を連れ大阪城に入ったのは、自分の才能を見抜き引き立ててくれた秀吉に対する恩返し。
真田丸には大きな戦のシーンは期待しない。そういう大河とは明らかに別物の大河だ。これを中身スカスカのドラマだと言う人たちは、この大河の真意がわかっていない人たちだ。
信之の息子たち、信吉と信政はそれぞれ後に藩主となったが、信繁の息子大助は、大阪の陣で若い命を散らしたという。
彼らの曾祖母とりは、人には皆、天命があると言った。大助にとっては大坂の陣が初陣だろう。
まだ10代半ばの少年が、いったいどういう思いを抱いて大阪の陣を戦い自らの命を断ったのか、これからの場面展開を観る上での大きな関心の一つだ。
いるな……..昌幸が。
信之の急な手のしびれ。軍議の際に幸村が着用していた昌幸愛用の毛皮。
この世の物事を動かしているのは、目に見える存在だけではないことを暗示していると見た。
つながってるんだな、この世とあの世は。
軍議の場では、窮している未熟な秀頼を、助けてやってくれと幸村に懇願している姿なき秀吉がいるように思えた。
昌幸の入った「幸」村。。。これからの展開をとくと観させてもらう。
又兵衛さんが滑舌悪く、時にろれつが回らないのは、昼日中からお酒を飲んでいるからデス。
42話も人の心が巧みに描写されていて面白い。
全登と又兵衛。幸村を総大将にすることで真反対だったこの二人。でも不思議に又兵衛、相部屋にされながら、全登が一心に祈る声を聞いても怒らない。人の心には仏と鬼が住んでいるというが、又兵衛の心に住む仏が全登の祈りに同調してるのか。
稲と松。大阪の陣に参戦する信吉と信政を送る場で、「しっかり戦ってきなさい」という稲に対して、「なるべく後ろにいなさい」という松。親心なれば、二人に真田の名に恥じぬ武勇を立ててほしいが、命は粗末にしてほしくないという子をもつ人の相反する親心が二人のせりふに表れている。
作兵衛と与八。信繁を助けて大坂の陣で戦うと言う作兵衛に、もう戦は嫌だといいながら作兵衛に同伴して大阪に同行する与八。戦が好きで行くんじゃない。行かなければ、気持ちが許さないという人の心の表れと感じた。
こうした対極にある人物を出して、人の心の表裏を巧みに描き出す真田丸。42話も何度観ても飽きないんだよなぁ。
今までの大河では、秀忠の娘千姫は、どこまでも秀頼についていくっていうような健気で美しい戦国時代の悲劇のヒロインとして画一的に描かれてきたけど、真田丸の千姫は違うね。
秀頼が、幸村に千姫を紹介する場面で、千姫が見せた表情が、もうすでに秀頼より心が離れているように見えた。秀頼さまは好きだけど、一緒に死にたいわけじゃない、危なくなったら徳川に帰りたいっていう気持ちが、千姫の固まった表情に見てとれた。それを幸村がすぐに気づいた場面もちゃんとカメラは映してる。
秀忠にしてもそうだ。これまでの秀忠は、偉大な父親を畏怖し従う息子というように描かれてきたけど、引退しても尚、指揮権を握り、勝手なふるまいをする父親がうっとうしくてたまらないという秀忠の心理があからさまに描かれている。
父、家康も、天下を取ろうと今までしなかったのは、熟慮してというよりは小心だったので、周りから背中を押されないと天下取りの決断ができない小心者だったように描かれている。
建て前と本音。
真田丸の好きなところは、人が求めるカッコよさと人が隠して悟られまいとする本音を、対比と滑稽さを交えて描いているところ。そしてちゃんと人の世に生きるためのメッセージが示されているところ。
五人衆のそれぞれの人間性も面白いね。人が作る集団の中に必ずと言っていいほどいるタイプがほとんど揃ってる。何かとごねくり、批判してばかりの又兵衛。だけどこういう人は結構、単純。
物事の大局を見る力と人の性格や考えを見抜く力。その両方を兼ね備えている幸村を主人公にしていろんな人物像や出来事が描かれてきた真田丸。
もう撮影は終わったんだとか。名残惜しい気持ちを抱きながら、これから最終回までを堪能したい。
且元…..長年仕えてきた豊臣を裏切り、大坂方を窮地に追い込む情報を家康に吐露するその表情は、温厚だった彼がこれまで一度も見せたことのない怨念の表れのように見えた。
豊臣を救うために、わざわざ全登とともに九度山にまで信繁に会いに行った且元。人目には、優柔不断で頼りなく見えても、秀吉生前の頃の彼の胸中は、三成に負けないくらいの忠義心があったに違いない。真田丸に登場した当初から、物事がうまく運ぶように気を揉んでよく胃を押さえる場面が思い出される。
その地味ではあるが確かに豊臣を陰で支えてきた功績ある人物を、大蔵卿や茶々たちは思いやることなく、大阪城から追い出した。亡き太閤秀吉はどう思っただろう。
真田丸で描かれてきた忠義と背信。人がどういう場合にどういう行動を取るのか、現代に通じる人の世の理をこの大河は教えてくれる。
家康の前で、さすが忠義者と褒められた直後に、敵に言ってはならない機密情報を何かに突き動かされるように話し始める小林且元の演技がとても光っていた。
家康の首を取らねば、豊臣は滅びる。その危機感から関ヶ原で徳川を相手に戦った三成。しかし、結局は、味方の裏切りで敗北し、それが原因で頼りとする参謀を失い、豊臣方は大きな痛手を負った。
関ヶ原で将来の不安を摘み取ることができなかった豊臣は、秀吉や三成の危惧した通り、それから十数年後、今また徳川と戦わねばならない窮地に陥っている。
周囲すべてを敵にまわし、味方さえ信じられない状況で、徳川の大軍を迎え撃たねばならない豊臣。その悲壮感と緊迫感が、今話の軍議の場面からも伝わってきた。
五人衆は一つになれそうな気配だがその彼らを信じることができない豊臣。関ヶ原の敗因の影響からなのか。あくまで籠城に固執する茶々や大蔵卿。そもそも茶々に豊臣家再興の意志はあるのだろうか。
決断を余儀なくされる秀頼は、戦の経験もなく、温室育ちの所詮は母親たちの傀儡でしかない若者だ。
だれがみても敗色が濃い形勢の中で、幸村ら大坂方がどういう策を講じて危機を打開しようとするのか、次の展開が待ち遠しいところだ。
さる口コミサイトでは、九度山に出向いて幸村を大阪に引っ張っておきながら、家康に大阪の情報を流す片桐や大野の甘い言葉で籠城に賛成する明石の描かれ方に、彼らは健忘症なのか?と脚本を揶揄する視聴者がいるが、ここは、真田丸の一貫して今まで描かれてきた人の心の闇が視聴者にわかるように示されている重要な場面で、大阪の陣の勝敗を決める伏線とみなせるところだ。
豊臣を追い出された片桐に家康がどういう言葉と態度を取ったか。家康のどういうせりふの時に片桐は表情を動かしたか、きちんとカメラはそれをアップで視聴者にわかるように映している。豊臣の内情を家康に教える片桐の心理があの短いせりふのやり取りで丹念に矛盾なく描かれている。
片桐は最初は大坂の内情を言うつもりはなかっただろう。しかし、家康の温かく迎える態度とこれまでの片桐の忠義を称える言葉で 茶々や大蔵卿らに誇りを傷つけられ豊臣を排除された片桐の心が動いたとしても不思議はない。家康は片桐の失意の理由をちゃんと見抜いており、そこをつくことで大阪方の参謀だった彼から重要な情報を聞き出すことに成功したのだ。
明石がなぜ、幸村に自分が籠城に賛成した理由を言ったのか。腹黒い相手だったら言わないが、幸村だったら自分の苦しい胸の内をわかってくれる。そういう思いで明石が幸村に大野とのことを白状したと解釈スすればなんの矛盾もない。
自分が信徒を増やしたいと切願しているキリスト教を徳川は禁止令を出して排除しようとしている。しかし、大野はそれを奨励していいと言ってくれた。だから大野の言う通り、籠城に賛成した。明石にとって、キリスト教を禁止されるということは自分の存在を排除されるのと同じこと。明石も幸村に内情を言いながら、その表情は片桐と同様、苦渋の表情だった。
片桐と明石がなぜ心変わりをしたのか。豊臣と徳川、それぞれに自分たちが排除されたことが根本にある。
この場面は、近づいてくる大阪の陣の勝敗を決める伏線となる重要なところ。健忘症で….なんてどこをどう見たらそういう感想になるんだろうか。
幸村を武器庫の中に誘った茶々。その出で立ちは、かつて茶々の護衛を任されていた若き信繁と過ごした頃の思い出の花、山吹に似た色だった。
かつて、中庭で山吹の花を手に取り、亡き母お市の方が好きだったと信繁に教えた茶々。その時摘んだその花を押し花にして、密かに大事に取っていた茶々。あれから十数年経ち、今そこで、信繁の背中にすがってつぶやいた、あなたをずっと待っていたということばが決して嘘ではないことを茶々が着ている山吹の色が教えてくれている。
幸村に秀頼を助けてくれと懇願する茶々。彼女にとって愛する者たちの命を奪った豊臣に愛着はなかろう。愛するわが子秀頼を守りたい一心だ。
秀頼を死なせたくない……その熱情が赤い打掛けに表れている気がして切なかった。
茶々のせいで豊臣は滅んだ…..戦を知らない女が牛耳るから豊臣は滅んだという見方は、短絡的な味方だとつくづく思う。
某感想口コミサイトに、42話で、信之が大阪方の信繁の元へ行くのを阻止しようとしたとき、急に手のしびれが起こって、作兵衛たちを行かせてしまったという場面を、単なるお決まりのコントでつまらないと感想を述べている人がいるが、それは違うね。
あの場面はそんな単純なことを描写している場面じゃない。原因不明の信之の手のしびれは、亡くなった昌幸の力が影響していることを暗示している場面だ。亡くなって姿も言葉もないが、昌幸もこの戦に加担し、信繁を助けて大阪の陣に挑むつもりだということを表現しているところ。単なる笑いをとってる場面じゃない。
その証拠に、すぐ次の場面では、幸村となった信繁が、初めて昌幸愛用の毛皮の上着を着て、秀頼と千姫に謁見している。それ以前に、信繁が昌幸の毛皮を着ている描写はどこにもない。信之の手のしびれ、毛皮を羽織った幸村。二つの状況を連続させて、目に見えない昌幸の存在を視聴者に意識させる意味のある場面だ。つまり、幸村は、信繁と昌幸の一心同体の人物だということの表れだ。
以前、大河ドラマ「武田信玄」で、親方様の信玄が、家臣を一同に集めた大広間で、大事な戦を前に、家臣とともに「御旗盾無し御照覧あれ! 」とその広間の上段に置かれた先祖を象徴する鎧兜に向かって言う場面があるが、その行為は、自分たちが先祖と共にあるという認識が大前提になっている。
昌幸は死んで祖先となり、幸村を助けている。幸村もそれを感じている。
この脚本家は、あらゆる面から人間を見ていると私は感じている。このドラマには、俯瞰性が乏しいという視聴者がいるが、客観と主観のあらゆる視点から物事を見て、そのギュッと絞ったエキスを場面に出している。だから、このドラマは深くて面白い。
時代劇には時代劇の、現代劇には現代劇の、それぞれに踏襲されてきた表現形式がある。だから、時代劇特有の描写を求める人たちは、真田丸を「軽い」とか「真の時代劇ではない」とか「中身のないコントはやめろ」とかいう批判を投稿するんだろう。
しかし、真田丸は、私が観てきた限り、軽くも中身がないわけでもけっしてない。その真逆だ。
真田丸は、これまでの大河が踏襲してきた重厚でシリアスな時代劇の描写形式と、現代劇特有のリアル感のある喜劇風味の描写形式を融合させ、戦国時代と現代を結ぶ新らしい描写形式を作り出している。
登場人物が表現する滑稽な演技一つをとっても、意味のないものはこれまで一つもない。笑いの中にもメッセージがある。そして、何より、登場人物が、これまでの大河より、身近に感じるところがいい。
葵徳川三代の淀君と真田丸の茶々は、描かれている人間性が違う。大蔵卿も大野も然り。
豊臣が滅んだ原因は何か。真田丸では、茶々ではないことは確かなように思える。
殿様をお守りしますと力強い声で誓う幸村に、自らその手を取り、万感の面差しで、頼りにしておるぞと言う秀頼。幸村の厚い信義の思いが秀頼公に伝わり、固い信頼が結ばれた瞬間の感動的な場面だった。
秀頼が母の命令に反したのは、これが初めてのことではないだろうか。
淀君に、出城をつくることを許したと報告する秀頼の様子を見ていてそう思った。
豊臣恩顧の武将は、誰一人として味方におらず、幸村以外はこれまでほとんど縁のない牢人衆たちばかり。その窮状を、大阪城の主である秀頼がひしひしと感じているようすが伝わってきた。
彼は、ただの温室育ちのお人よしのお坊ちゃんではなかった。集団の頂点に立つために必要な条件とも言える、人の人間性を見抜く賢い人物だった。
大阪方と牢人衆の心を結ぶ幸村。
相手は、30万の大軍。しかし、幸村はその兵士たちのほとんどが戦の素人集団であることをちゃんと見抜いている。それに、その兵士たちを率いる武将たちの中には、かつて心を通わせた上杉や自分の甥たちがいる。
一方の味方の牢人衆たちは、この戦に勝利して、自分たちの未来を築こうと命を懸けた野心家たち。その共通した将来への希望が一丸となって徳川の大軍を迎え撃つ。
見応えのある戦は、終盤になってあるとどこかに書いてあったが、いよいよこれからが、幸村のこれまでの集大成ともなる戦いが始まるんだな。
家康公は、老体ながら、長年の経験と知略そして勘どころは今だ衰えるところなし。この戦を自分が手掛ける最後の戦と捉えて、豊臣を時間をかけて根絶やしにしようとする魂胆か。
家康の率いる徳川の大軍を相手に、豊臣方幸村たちがどう応戦するのか、とても楽しみだ。
完成した圧巻の真田丸。そして、鮮烈な血肉躍るような赤備え。下剋上最後の戦がこれから始まろうとしている。
しっかし、何と言っても、徳川は30万の大軍。想像もつかない数だ。
幸村の嫡男、大助くんの不安で緊張した面持ちが、初陣らしくて良かった。
戦場を経験してきた、幸村や内記そして作兵衛は貫録十分だ。
どんな大戦になるのか、「完封」が早く観たい!
某口コミサイトで、幸村が軍議の席で、それなら九度山に私は帰ると言ったことに関して、逃げ出してきたのに帰れないだろうとか、そういうことを言うのは誠意がないとかいろいろ批判的な意見が出されているが、なぜ、そういうことを問題にしなければならないのだろうか。
あの場面で大事なことは、大阪方が幸村や牢人衆を信用してないと言うことが問題なのだ。
徳川の大軍と戦うために、いろいろ知略の限りを尽くして戦おうと戦略を立てているのに、味方の主従関係にある主や側近が従を信用しなければ、戦の勝利は望めず、敗北しかないということを幸村は言っているのだ。
幸村は、もうすでに、死ぬ気で来ている。命を懸けて、豊臣のために戦おうと決意して、大阪城に入城している。その自分を大阪城の側近や主は信用してない。信用しないのであれば、命は懸けられない。だから、「九度山に帰る!」という捨て台詞を吐いて、豊臣方に腹をくくれ!と促したのだ。
現代でもそうだろう。自分が一生懸命やろうとしていることに、上司があいつは信用できないという気持ちを持っていたとしたら、その仕事に打ち込めるだろうか。反対に、自分はそれほどやる気はなかったけれど、お前を信用している、この件はお前に任せると言われれば、責任を感じ、一生懸命取り組もうと人はしないだろうか。
後に、せっかく立てた出城の配置図を側近たちが反故にし、牢人衆を排除した配置に変えた時、勝永や又兵衛が俺たちは徳川につくと言ってその席を立ったのも、幸村の九度山発言と同様の論理だ。
信頼と疑心暗鬼。この相対する心の在り様は、ことの勝敗に深く影響を与える。これは他人に対してだけではなく、自分自身に対してもそうだろう。自分の力を信用してない者は、肝心な場で力を出せない。
勝永は幸村に、俺は自分を試したくて来たと言った。人は、自分に対しても全幅の信頼を置いているわけではないのだ。
真田丸で初回からずっと描かれてきている「忠義と背信」。これにはこの「信頼と疑心暗鬼」が深くかかわっている。
人と人を結ぶものは何か。同時に、人と人を引き離すものは何か。
真田丸は、その問題を一貫して描写している。
秀頼が、建設がとん挫している真田丸を訪れて、幸村の真意を受け止め、その手を自らとり、幸村を頼りにしていると言ったあの場面から、大阪方は、初めて、大阪の陣へと邁進していく様子を帯びている。
自分たちが乗り気になっていることに、九度山に帰るとか徳川につくとか投げ捨てるようなことを言わざるを得ない気持ちにさせるものは何なのか、それがまさに問題で、実際に帰れるのかとか誠意がないとかいう見方は、ドラマの意図からして、視点が違うと私は感じる。
の某感想口コミサイトは。どうかしたら、真田丸そのものより面白いと思うことがある。
徳川に烏合の衆と言われて見下され、味方の参謀の中にも信用されていない者がいる中で、兵を見事に統率し、徳川軍を破った幸村率いる豊臣軍。
幸村やほかの5人衆たちの戦意高揚に、主、秀頼との厚い信頼関係が大きく影響していたのは想像するまでもない。
父、昌幸から学んだことを幸村は、戦場で見事に活かし、幸村がかつて担った役目を今度は、我が子、大助が見事に果たしたのも感無量。
幸村の的確な指揮と兵士たちの見事な連係プレーの戦いぶりに、胸がすく思いがした。
画面から戦場で戦う兵士たちの必死さが伝わってきた!
人と人との連帯感には、想像以上のエネルギーと好機を招く運気が生まれることを感じた回だった。
葵徳川三代の関ヶ原の戦いで、敵の弾に討たれた島左近が、死に際に主君三成に残した「一命、捧げ奉る」と言った言葉を、「完封」の幸村の戦いぶりを見ながら思い出した。
三成の西軍は敗北したが、最後まで主君を助け、戦場に散った左近に感じた武士の美学、死生観を幸村にも感じた。
恩ある秀吉の子秀頼のために、幸村も己の一命を捧げる覚悟だろう。
武将の家に生まれ、武将になるべく育てられ、人質となって、景勝や秀吉の元で多くの経験を積む中、恐らく、幸村は、武士としての美学と死生観を骨の髄まで叩き込まれただろう。
その彼が、九度山で一生を終えることに満足できるのか。その答えを「完封」の幸村は見事に応えてくれている。
まるで、水を得た魚のように、活き活きと指揮をとり、自ら馬上に乗って、敵の兵士を切り倒していく幸村。
どうしてここに来たのか自分でもわからないと5人衆の仲間に答えた幸村。しかし、彼はきっと思っていたに違いない。
やっと武将としての花を咲かせる時が来た。九度山で生涯を終わるために今まで生きてきたのではない。形勢不利のこの戦こそ、これまで培ってきた己の力を存分に発揮することができる場だと。
一人の武将として、恩ある豊臣のために戦い、一生を全うするという思いが、幸村を大阪の陣へと向かわせたと私は捉えている。
阿茶の巧みな交渉に、狭量な大蔵卿や交渉の術を知らない初の方はまんまと飲み込まれ、真田丸や堀までも失う羽目になった豊臣軍。
もはや戦う手足をもぎ取られたようなわが軍に勝ち目はないと悟った幸村。牢人衆に大阪城を離れよと言い、自分の家族や家来の今後の身の処し方を告げ、その後は、恐らく、戦の指揮官の一人として責任の一端を担い、自害するつもりだったかもしれない。
しかし、牢人衆は、又兵衛が言うように、ここ以外、生きる場所がない者たちの集まりだ。100分の1でも勝つ可能性を見出して、先に進むしかない。
裸同然の大阪城。それでもなお、将来への夢をあきらめず、命を懸けて一丸となって戦おうと、新たな覚悟を決める牢人衆たち。そして、その思いを受け止め、再び、徳川と戦う覚悟をする幸村。
何度も何度も、人は変わっていく状況に対応しようと、知恵を絞り、そのたびに新たな覚悟を決める。
どんな状況にも前向きに生きようとすることを捨てない人たちの勇気と心意気に、私は感動を覚えた。
時の声を上げる徳川軍に犬の遠吠えで応酬したり、切り倒した敵兵に自分の名前を書いた札を置いたりして、この人の頭の中はどうなってるんだろうと失笑してしまうが、不思議に下品に見えない団右ェ門さん。どこかのいいとこのお坊ちゃんにこういう雰囲気の息子いるよねぇ。この人を注視してると可笑しくて飽きない。
与八が作兵衛から料理頭につくことになったようだが、きっと何か意味があるんだろうな。
真田丸を観ていると、勝負の結果にあまり意味がないのではないかと思えてくる。
戦だから、勝利者と敗者に分かれるのだろうが、その戦の結果は、初めから決まっているのではないだろうか。
信之は、真田家を後世に存続させる役目を担い、信繁は、真田家が代々培ってきた知略の技を受け継ぐ名将として、後世に名を残す役目を担って生まれてきたのかもしれない。
きり。彼女もすでに心の中では、源二郎さまとともに死ぬ覚悟をしているのかもしれない。自分に正直に生きてきたきり。最後の最後まで、愛しい源二郎さまに寄り添い、決して迷うことのなかった強い意志の人。きっと地獄の果てまでついていこうと固く心に決めているのだろう。
女は、愛する男性といることがこの上なく幸せなのだ。
だから、茶々はこの上なく寂しいのだ。
信繁ときり。運命に翻弄されても、欲に生きず、自分を見失うことなく、その人生を今、全うしようとしている。
この二人の最期を、真田丸はどのように描くのか、最後の最後まで、見届けたい。
なんたって、大河を一回も見落とさずに毎回観てきたのは、ほんとに久しぶりだしね。
相川翔さん演じる後藤又兵衛が壮絶な戦死をした。
相川又兵衛は、昼間から酒を飲んで、気に入らなければ人をどやす荒くれたところ、だけど、人の感情の機微をちゃんと感じる繊細なところを併せ持つ人間味あふれたところが良く出ていて、好きだった。口は悪いけれど、己の気持ちに正直で、競争心や出世欲が強い、武将の性格を相川さんは、見事に演じていた。
これまで、相川さんの特別ファンだったわけでないが、これから画面に出てくるときは、これまでと違うあったかい印象でこの活きのいい役者さんを観るだろう。
この役者さんには、まだまだ人を魅了する力が隠れていると思う。今まで演じたことのない役をこれからもぜひ観てみたい。
初回~5話まで視聴し断念。・・・ 礼を尽くし46話~最終回を観させて頂きました。多くのファンに支持されていた様子なのでアンチは避けます。 只,長い歴史を持つ多くの真面目な大河ファンがいることは絶対に忘れて欲しくはありません。 ここまで歴史の創作が許されるのなら思い切って ・猿飛佐助 ・霧隠才蔵 ・百地三太夫そして真田雪村らを主人公にした『真田十勇士』の方が視聴率が上がると思いますよ。 また 1980年にNHKで放送された 霧隠才蔵らを主人公にした 司馬良太郎作の『風神の門』は〇●◎よりずっと面白かったです。 結論 大河ドラマにお笑いは不要です。NHKBSで放映している『英雄たちの選択』と言う 質の高い番組があることはご存知でしょうか。 大河ファンは質を求めています。
毎回、考えさせられる場面、思わず笑ってしまう場面、感動する場面と忙しかったが、一度も観るのをリタイアしようと思ったことはない。
私は、このドラマにかかわる登場人物や脚本家に特別な感情をもっている者ではない。観なければならない義理はないから、面白くなければ、これまでのように途中で観るのをやめてしまっていた。
真田丸の視聴率は悪かったのか。鑑賞する媒体が多様化している中で、平均視聴率が15パーセントを割らなかったのは決して失敗作とは言えないだろう。
どこに面白みを感じるかは人それぞれだ。真田丸は、決して駄作ではない。あっという間の45分間、あっという間の一年だった。
これまで、毎回楽しみに観てきた真田丸の役者さんを始め多くの制作に携わってきた人たちに心からありがとうと言いたい気持ちだ。